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ジェフ・クーンズ/KAWS/キース・ヘリング…ディズニーアニメ制作や、ベビーシッターなど有名アーティストの意外な前職

アーティストとして世界的に認められ、成功する確率はほんの一握りと言ってもいいでしょう。現在一般的に知られている有名なアーティストたちにも、もちろん下積み時代があったものです。

有名になるまでは、芸術家は自身の作品を売れなかったり、売っても十分に稼げなかったりするため、全く別の分野の仕事をしながら芸術の道を極めて、芸術家として成功をおさめたアーティストも数多くいます。

今回は、国内外の10名のアーティストをピックアップし、有名になる前の前職について紹介していきます。中には芸術活動とかけ離れた意外な職業に就いていたアーティストもいます。

ジェフ・クーンズ:コモディティ・ブローカー

ジェフ・クーンズ(Jeff Koons:以下、クーンズは、大規模なインスタレーション、彫刻作品で知られるアメリカのアーティストです。

2013年の「バルーンドッグ(オレンジ)」が5,840万ドル、2019年の「ラビット」が9,110万ドルと、現存するアーティストの作品でオークション史上最高額を記録したクーンズは、今や世界的なファッションブランドであるルイ・ヴィトンとのコラボレーションをするほど、世界的に有名なアーティストです。

そんなクーンズですが、アーティストとして生計を立てる前の1980年代初頭には、世界の金融業界の中心であるニューヨークのウォール・ストリートでコモディティ・ブローカーとして働いていました。コモディティとは金・銀・銅などのベースメタルや原油、小麦、天然ガスを指し、コモディティ・ブローカーはこれらを取引するブローカーです。

クーンズは、世界の中心であるニューヨークで金融業をしながら、アーティストとしてのキャリアを積むための資金調達をしていたのだそうです。

1985年に開催した展覧会「イクイリブリアム」で、水槽に浮かぶバスケットボールやブロンズ製の救命具など斬新な作品を発表したことで美術界の注目を集めたことで、金融業界を離れ、芸術活動に専念するようになりました。

リチャード・セラ:家具移動業

リチャード・セラ(Richard Serra:以下、セラは、シートメタルの大規模な組み立てによる作品で知られるアメリカのミニマルな彫刻が有名なアーティストです。彫刻制作だけでなく、1969年から現在に至るまで約50年間にに渡ってドローイングの作品も数多く発表してきました。

ニューヨークのアップステートにある大規模なギャラリー、ディア・ビーコンにも彼の作品が常設されています。

1960年代、セラは芸術活動のための資金を貯めるために、ニューヨークで「ローレイト・ムーバーズ」という家具移動業(引越し業者)を始め、多くの芸術仲間をアシスタントとして雇って活動していました。

この仕事で階段の昇り降りなどを含む家具の移動のサービスから、展覧会の設営なども請け負って、のちに自身の巨大な作品の展示の設営なども自ら手配していたといいます。

バーバラ・クルーガー:コンデナスト社のグラフィック・デザイナー

バーバラ・クルーガー(Barbara Kruger:以下、クルーガーは、アメリカのコンセプチュアル・アーティスト、コラージュ作家で、短いフレーズを用いた『権力やアイデンティティ、セクシュアリティの文化的な構造に呼びかけるような作品』で知られており、その作風は有名なストリートファッションブランド、シュプリーム(Supreme)のロゴの元ネタではないか?と言われているようです。

クルーガーは、1965年にシラキュース大学を中退し、ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインで1学期を過ごした後、1966年にコンデナスト社にグラフィック・デザイナーとして就職しました。

ファッションを中心とした女性誌「マドモアゼル」を担当したクルーガーは、1年後同誌のヘッドデザイナーに任命されます。その後の約10年の間、クルーガーは雑誌のグラフィックデザインをしながら、本のカバーデザインなどフリーランスで画像編集をしながら、生計を立てていたそうです。

千住博:河合塾予備校講師

千住博(以下、千住)は、日本独自の絵画技法を用いたダイナミックな滝や崖のモチーフを描いた作品で知られる現代アーティストです。代表作の「ウォーターフォール」は、1995年のヴェネツィア・ビエンナーレで名誉賞を受賞しています。

千住氏の作品は、ニューヨークのブルックリン美術館、ロサンゼルス現代美術館、サンフランシスコ近代美術館、富山県立近代美術館、東京の山種美術館、東京藝術大学、北海道の釧路芸術館などに収蔵されており、現在では、日本画の存在やその技法の世界的認知を向上させることを目指して、絵画制作だけでなく、講演や著述など幅広い活動を行っています。

慶應義塾幼稚舎から高校まで進学し1982年に東京芸術大学 絵画科日本画専攻を卒業し、修士号・博士号を取得した千住は、卒業と共に作品の制作に力を入れながらも、しばらくの間は河合塾で予備校の講師をしていたそうです。

しりあがり寿:キリンビール社 会社員

しりあがり寿は、「真夜中の弥次さん喜多さん」「弥次喜多 in DEEP」などの漫画で知られる、死や人生などの哲学的な作品や時事ネタ、家庭ネタ、サラリーマンネタをテーマにした漫画家です。

1981年に多摩美術大学グラフィックデザイン専攻を卒業した後、キリンビール株式会社に入社したしりあがり寿は、パッケージデザインや広告宣伝などを担当し、13年に渡って会社員と漫画家という二足のわらじを履き続けてきたそうです。

キリンビールに入社後に、漫画描き始めたしりあがり寿ですが、1985年に「エレキな春」で漫画家として正式にデビューし、この作品にはなんと手塚治虫からもコメントがありました。

1994年漫画家として独立してからは、より幻想的・文学的な作品を制作するようになりました。

アイ・ウェイウェイ:大工仕事など

『権力に屈しないアーティスト』として知られる中国の現代アーティスト、アイ・ウェイウェイAi Weiwei:以下、ウェイウェイ)は、強い社会的メッセージを表現したインスタレーションや映像、彫刻作品などで知られています。

1981年から1993年まで、アメリカに住んでいたウェイウェイは、1983年にニューヨークに渡り、パーソンズ・スクール・オブ・デザインで短期間芸術を学びました。

その後はニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに3年間在籍していましたが、学校を中退し、ストリート・ポートレートを描いたり、家のペンキ塗りや大工仕事などの雑用をしながら、生計を立てていたといいます。

また、ニューヨークのイーストビレッジに住んでいた頃には、ブラックジャックのカードゲームにハマり、隣の州のニュージャージーにあるアトランティック・シティのカジノによく遊びに行ったとも語られており、ギャンブルの世界では、ウェイウェイは今でもトップクラスのプロ・ブラックジャックプレイヤーとみなされているのだそうです。

キース・ヘリング:ナイトクラブのバスボーイ

キース・ヘリングKeith Haring:以下、ヘリング)は、1980年代のニューヨークのストリート・カルチャーから発展したポップ・アート作品で知られるアメリカのアーティストです。

政治的、社会的なテーマを扱った作品をストリートで自発的に制作したことから始まり、大規模な壁画へと発展させ、ヘリングの作品は今では誰もがすぐに認知できるようなアイコニックなものへと成長しました。

ヘリングは、1979年から1986年までニューヨークの4階建てのナイトクラブ「ダンステリア」でバスボーイとして働いていたそうです。このナイトクラブは、かつてマドンナが1980年代前半にコートチェックガールとして働いていたことでも知られています。今のニューヨークのどこかでも、未来の有名アーティストの卵が働いているかもしれません。

ジャクソン・ポロック:ベビーシッター

20世紀アメリカ美術を代表するアーティストの一人と言われるジャクソン・ポロックJackson Pollock:以下、ポロック)は、抽象表現主義の先駆者として知られています。ドリッピング、スプラッシュ、オール・オーバーなどの技法を考案した人物で、1947年から1951年にかけて大作を制作しました。

アメリカ・ワイオミング州に生まれ、アリゾナとカリフォルニアで育ち、18歳でニューヨークに移住したポロックは、兄のもとで暮らすようになり、ベビーシッターとして働いていたそうです。ポロックが師事していた画家トーマス・ハート・ベントンの子供の面倒をみたこともあり、ポロックはベントンの息子や家族と親しくなったといいます。ベントンのリズミカルな絵の具使いは、ポロックの作品に大きな影響を与えています。

五木田智央:グラフィックデザイナー

五木田智央(以下、五木田)は、白黒のモノクロームを基調とした、抽象画や版画で知られている現代美術アーティストで、顔が消された人物のイメージや、レコードジャケットを模した作品などで知られています。

五木田は、1988年に美術学校に入学したものの、2年後に学校を中退して、当社はグラフィックデザイナーとしてナイトクラブのチラシや、ミュージシャンのCDのカバーなどの商業デザインを手がけていました。特にファッション業界や音楽業界から注目を集めるようになりました。

1960年代と1970年代の日本とアメリカのサブカルチャーからインスピレーションを得た作品は、KAWSにも注目され、ニューヨークの有名ギャラリスト、メアリー・ブーンがKAWSの自宅に遊びに来たときに、壁に飾ってあった五木田のペインティングに目が留まったことがきっかけとなり、海外のギャラリーや展覧会からも多数の声がかかるようになりました。

KAWS:ディズニー社でアニメーションの背景作成

KAWSは、アイコニックな目がバツ(X)のキャラクター「コンパニオン」などのモチーフが有名な、アメリカの現代アーティストです。

有名なアニメ「シンプソンズ」や「スマーフ」などのパロディとして描かれた作品や、アート・バーゼルなどで話題になった巨大彫刻の移動アートインスタレーション「Kaws:Holiday」、フィギュアなどがよく知られており、ユニクロ、ディオール、ナイキなどさまざまな有名ブランドともコラボレーションしてきた売れっ子アーティストです。

KAWSは、アーティスト活動を本格化させるまで、1990年代初頭からニューヨークでグラフィティ・アーティストとして活動しながら、1996年にスクール・オブ・ビジュアルアーツを卒業し、ディズニーのフリーランスアーティストとして働き、アニメーションの背景を作成していたそうです。

世界的なアニメーションを発信するディズニーでのキャリアも、現在のKAWSの活躍に繋がっているのかもしれません。

まとめ

今や世界的に知名度のあるジェフ・クーンズやキース・ヘリングなどの有名アーティストもかつては金融業界で働いていたり、ナイトクラブでバスボーイをしていたりと、その下積み時代の過ごし方は様々でした。

アーティストの芸術関連以外のバックグラウンドを知ることで、その人の人間性や他の才能にも気づくことができて面白いのではないでしょうか。

参考

Google Arts & Culture「The Day Jobs Artists Had Before They Were Famous」https://artsandculture.google.com/story/the-day-jobs-artists-had-before-they-were-famous/SgWh3Nomv3hkIA?hl=en

ABOUT ME
あやね
2018年にアメリカ NYへ移住した、京都生まれの大阪人。日本の伝統工芸が持つ独特で繊細な美しさが好きで、着物や器を集めている。郊外の家に引っ越したことをきっかけに、アート作品やアンティーク家具を取り入れたインテリアコーディネートにも興味を持ち始める。アメリカで日常生活に様々な形でアートを取り入れる人々に出会い触発され、2021年より趣味で陶芸をはじめる。