経歴
ジャクソン・ポロック(以下、ポロック)は、アメリカ・ワイオミング州のコディで生まれ、4人の兄弟とともにアリゾナとカリフォルニアで育ちました。ロサンゼルスのManual Arts High Schoolで美術教育を受けましたが、反抗的な性格のために退学処分になりました。1930年、18歳になったポロックは、兄のチャールズとともにニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに入学しました。
ポロックの絵画のイメージは、ナバホ族の砂絵、アジアの言語、ピカソなどの様々なものから生まれた。1930年代から1940年代初頭にかけて、フェデラル・アート・プロジェクトに参加したり、メキシコの革命的な壁画家と協力したりしながら、ポロックの作風は、抽象表現主義へと進化していきました。
抽象表現主義というのは、1940年代後半から50年代にかけてアメリカ、特にニューヨークを中心に隆盛した芸術様式です。抽象表現主義以降、芸術の発信地が従来のパリからニューヨークへとシフトしていきます。
1943年には、初の個展を開きました。その2年後ポロックはアーティストのリー・クラスナーと結婚し、ロングアイランドに移住しました。
その後ポロックはキャンバスを床に置き、絵の具のをキャンバスに垂らしたり飛ばす『ドリッピング』絵画を開発しました。この手法がポロックを成功させる一因となります。それまで絵画は筆で描くものとされていましたが、ポロックは今までの概念を覆しました。
アーティストとして有名になり成功をおさめましたが、ポロックは精神的な不安定さでアルコール依存症に悩まされました。1956年自動車事故で亡くなりました。
参考
BUSINESS INSIDER「約170億円のモディリアニの裸婦画も! これまでに売買された、世界で最も高額な絵画トップ15」
Artwords(アートワード)「抽象表現主義」