『美術館で西洋美術を観た時に、なんだか同じような絵が多くよくわからない』
『有名なアーティストの名前は知っているけど、どんな時代を生きたどのような思想の人だったのかについてはよく知らない』
『アート鑑賞は好きだが、その歴史について把握していないので堂々とアート好きを公言できない』
そんな方々のために、今回は全4回に分けて西洋美術史の基礎的な流れをまとめてご紹介します。
第1回では、のちの西洋美術のルーツともなる紀元前3万年前の原始美術から、5世紀後半の初期キリスト美術までについての流れをおさらいしましょう。
原始美術(紀元前3万年〜3500年頃)
人類の歴史の中で美術と呼ばれるものの始まりは、現代から3万6000年以上前まで遡ります。先史時代に制作された彫像や壁画は、原始美術と呼ばれており、旧石器時代の後期ごろからがその始まりと言われています。
原始美術に分類される作品は、洞窟壁画や女性をかたどった像、ペトログリフ(岩盤画)、建築物などが有名です。
かなり昔まで遡るため、生活をする上で必要のない遺物や遺構であるかどうかの判断材料が少なく、そもそもアートと呼べるのかどうかという議論もあります。
人類最古の美術「洞窟壁画アルデッシュ・ショーヴェ・ポンダルク」
洞窟壁画アルデッシュ・ショーヴェ・ポンダルク(以下、ショーヴェの洞窟)は、フランス南東部ローヌ・アルプ地方のアルデッシュで発見された人類最古の美術と言われており、ユネスコの世界遺産にも世界最古の洞窟壁画として登録されました。この洞窟には、様々な動物の壁画や手形が1000点以上残されていて、狩りの成功や動物たちの繁殖を祈って描かれたのではないかという説もあります。
この洞窟は約2万年前の落石で洞窟の入り口が封鎖されていたため、非常に良好な保存状態で発見されました。しかし、外気に触れると壁画は鮮やかさが失われたりして急速に浸食が進んでしまうため、現在は特別な許可を受けた人以外は立入禁止となっており、近隣に復元作品を展示する「キャベルヌ・デュ・ポンダルク」が設立されています。
ストーンヘンジ
イギリス南部のソールズベリー平原にある環状列石で、原始美術に分類される巨石遺跡として有名なのが、ストーンヘンジです。新石器時代である紀元前2000〜前1500年頃、3つの年代を経て当時集団行動を始めていた人類により造られたと考えられていますが、その目的は未だ謎に包まれています。組み合わせられている巨大な石が倒れないように石同士の接地面に凹凸がつけられているなど、この時代から驚くほど高度な技術が使われていることも興味深いです。
1986年に世界文化遺産に登録されたストーンヘンジは、現在は遺跡保護のためストーンサークル内は立ち入り禁止になっていますが、夏至、冬至、春分の日、秋分の日には自由開放されているそうです。
メソポタミア美術(紀元前3500年頃〜)
四大文明で知られる「メソポタミア文明」の時期に見られたメソポタミア美術は、エジプト美術やギリシャ美術など後世の美術に多くの影響を与えたといわれています。
メソポタミア文明は、気候も土地も良いチグリス・ユーフラテス川流域で栄え、農業が発展しましたが、建築に適した石材の産出量は少なかったようです。そのため、日干しレンガで作られたメソポタミア文明におけるピラミッドともいわれる「ウルのジッグラト」のような建築物が見られます。また、一般的な石材ではなく大理石は産出していたため、大理石を用いた建築物や彫刻を作るようにもなりました。これはのちに続くギリシャ美術にも引き続き見られる傾向です。
文明の発展とともに、地域ごとの紛争も起こるようになり、次第に王の権力を見せつけることを目的としたような美術作品が増えていきます。例えば、王が飛びかかってきた獅子(ライオン)を退治する様子が彫刻された「アッシュールバニパルの獅子狩り」がその代表作です。
また、「イシュタル門」のように色鮮やかなレンガを使った建築のほか、タイルなどを組み合わせて大きな絵を描くモザイクのような技法もこの時代に用いられ始めたと言われています。
エジプト美術(紀元前3500年頃〜)
エジプトと聞くと誰もがピラミッドやミイラなどを思い浮かべるのではないでしょうか。
それらはまさにエジプト美術の中心となっています。エジプト文明は保守的で伝統を重んじていたため、エジプト美術は、約3000年の間でほとんどその様式が変わらなかったことで知られています。
エジプト文明期の作品は、『顔は横顔で、目は正面を向いて描く』『頭や胴体、足は一定の比率で描く』『胴体は正面に向いているように描く』などのような同じルールで描かれているため、すぐに識別できます。
古代ギリシャ美術(紀元前1000年頃〜)
古代ギリシャ美術は、紀元前7世紀ごろから紀元前3世紀ごろまでに栄えた古代ギリシャの時代を代表する美術様式で、アルカイック期(紀元前650年頃)、クラシック期(紀元前480年頃)、ヘレニズム期(紀元前340年頃)の3つの時代に分けることができます。
一般的に西洋美術史の始まりとして紹介されていることが多く、西洋美術史の中でもとても重要な役割を示し、のちの文化に影響を残しています。古代ギリシャの美術は、アルカイック期、クラシック期、ヘレニズム期の大きく3つに分類されます。
古代ギリシャの哲学者たちの美への考え方が影響し、完璧な美しさを持つ神々を表現するために彫刻作品が多く作られたと考えられています。
アルカイック期(紀元前600年〜480年頃)
「アルカイック・スマイル」という言葉を聞いたことはありませんか?
日本の飛鳥時代の仏像にも見られる、口もとに微笑を浮かべたような表情のことを指しており、これはまさにギリシャ美術のアルカイック期の作品に散見される技法で、人物をかたどった彫刻作品がより自然で生命が宿っているかのように見えるように工夫がされたと考えられています。
また、表情だけでなく身体つきや筋肉、立ち姿もより自然な姿が表現されるようになります。
この時期の作品はまだメソポタミア美術やエジプト美術の影響を受けていることが見受けられます。
クラシック期(紀元前480年〜323年)
ギリシャ彫刻が確立したものとして、有名なのが重心を片足にかけた立ち姿で肉体の繊細な動きと躍動感を表現する「コントラポスト」があり、代表作は「クリティオスの少年」です。
また、ギリシャの世界遺産「アテネのアクロポリス」の神殿群の1つである「パルテノン神殿」もこの時期に建設されました。
46本ある神殿の円柱には、下部もしくは中間部から、上部にかけて徐々に細くした形状の柱をつくるエンタシスという技法が用いられており、建築物に安定感があるように見える効果があります。
この技法はなんとギリシャから遠く離れた日本の法隆寺の円柱にも見られます。
ヘレニズム期(紀元前323年〜31年)
ヘレニズムとは、マケドニアの王アレクサンドロス大王の死(紀元前323年)からアクティウムの海戦(紀元前31年)までの約300年間に、ギリシアから各地に広まった文化のことを指します。
アレクサンドロス大王が、ヨーロッパから見て東の地域を指すオリエントを征服したことでそれまでのギリシャとオリエントの文化が混ざり合いました。クラシック期に確立された技法「コントラポスト」を受け継ぎながらもさらに派手な動きを表現した彫刻や無表情な彫刻が見られるようになっていきます。
「ミロのヴィーナス」や「ラオコーン」などのような、現代の私たちの多くがギリシャ彫刻として第一想起するものがヘレニズム期の代表作としてあげられます。
古代ローマ美術(紀元前500年から約1000年)
紀元前7世紀ごろから紀元前3世紀まで続いた古代ギリシャは、その後イタリア半島を統一したローマ人の侵略により滅亡してしまいます。その際にローマ人たちは、ギリシャ美術の素晴らしさに気づき、それを積極的に受け継ぐためにギリシャ人のクラフトマンを雇ったといいます。ギリシャの美術品を模倣した彫刻作品が多く見られ、それらはローマンコピーと呼ばれています。
ギリシャ美術の影響を大きく受ける一方で、彫刻のモデルとなる人物の功績や役職、人間性を伝えるためにデフォルメ(意図的に対象を変形させて表現すること)が加えられた記念碑的な彫刻が主流になっていきました。
その例としてわかりやすいのが、「コンスタンティヌス1世の頭像」です。権力者であったコンスタンティヌス1世の威厳を示すために、目をかなり強調して創られているのがわかります。
また、古代ローマ時代には、上下水道の完備や土木、道路工事などの技術も進み、インフラが整った上に、銭湯、競技場などといった娯楽施設も建設されるようになりました。
現在でも世界遺跡に登録されたコロッセウムやパンテオンのような壮大な建築物が残っており、観光名所になっています。
ヴェスヴィオ火山の噴火によって街ごと灰に埋もれてしまったポンペイは、現在から200年ほど前にフランスの調査団により発見された古代都市です。これまで現存していないと考えられていた古代ローマ時代の絵画作品が、灰の中で当時の状態のまま保存されていました。当時の絵画作品には、だまし絵や遠近法などのような高度な技術が用いられており、ポンペイ・レッドと呼ばれる色鮮やかなカラーが特徴的です。
初期キリスト美術(2世紀頃〜5世紀前半)
西洋美術史を語る上で、切っても切れないのがキリスト教です。
しかし、313年にキリスト教が公認されるまでは、ローマ帝国ではキリスト教は迫害されていたため、当時の信者たちはカタコンベと呼ばれる地下墓所でこっそりと集まり、カタコンベの天井や壁にイエスを描いて祈っていました。その時期のキリスト教にまつわる絵画は、例えばイエス・キリストを動物の姿にするなどして、当時のキリスト教徒によって隠語のような形で描かれたといわれています。
キリスト教徒たちは迫害を受けながらも徐々に布教を続け、392年にはキリスト教がローマ帝国の国教になりました。その頃からキリスト教の教会がたくさん建築されるようになります。
教会建築の外側は質素な現実世界、内側は華やかなキリストがいる天国(死後の世界)を表していて、天井画や壁画にはモザイク装飾(ガラス、貝殻、石の欠片を集めて作る装飾画)が用いられていました。
まとめ
美術史を学ぶと、今から3万年以上も前から人類が創作活動を行い、現代の私たちにとってのアートと呼べるような作品を製作していたこと、またそれらが長い歴史を経て完璧な形ではないにしろ現存していることに感動します。
また、美術史の流れは当時の政治的、社会的、文化的要因に大きく左右されていることもわかりますよね。
例えばもしあの時、キリスト教がローマ帝国の国境にならなかったら、今私たちが当たり前だと思っている西洋美術の姿は全く違うものだったでしょう。
そう考えると、美術品はその時代を生きる人類の生活や心境を移す鏡となっていて、とても興味深いですよね。
次回は、続きの初期中世美術以降の西洋美術史を第2回として紹介します。