世界で初めてテレビやビデオを用いたアート作品を発表し、様々なメディアを用いた「ビデオアートの創始者」として知られる韓国系アメリカ人の現代美術家ナム・ジュン・パイクは、韓国、日本、ドイツ、そしてアメリカで活躍した国際的でマルチな才能を持つアーティストです。
オノ・ヨーコや坂本龍一などのような世界的に有名な日本人アーティストとの共同作品も数多く残っています。
今回は、ナム・ジュン・パイクの経歴や代表作品などについて、まとめて紹介します。
ナム・ジュン・パイクの経歴
ビデオ・アートの創始者・第一人者として知られる現代美術家のナム・ジュン・パイク(以下、パイク)は、1932年に韓国の京城(現在のソウル)で裕福な家庭に生まれました。
1950年の朝鮮戦争を機に家族とともに韓国を脱出し、まず香港へ、そして日本へ渡り、1956年東京大学・美学美術史学科を卒業します。
その後西ドイツに渡り、ミュンヘン大学及びフライブルグ大学で音楽史を学んだパイクは、前衛的な音楽、作曲、演奏に興味を持っていました。
当時のパイクは、当時知り合ったジョン・ケージやジョージ・マチューナスとともにネオ・ダダ・フルクサス運動のメンバーとして活動したり、ドイツ・ブパタールのギャルリー・パルナスでテレビの外観や内容を根本的に覆した伝説的な個展を開催したり、ヨーロッパ各地で破壊的・概念的な音楽活動を行ったりしていました。
1964年にアメリカに移住した後も、個展「NJパイク-エレクトロニック展」などギャラリーでの作品展を継続して開催します。
1965年、ポータブルビデオカメラを初めて使用したアーティストの一人となったパイクは、1969年に日本人エンジニアの阿部修也と共同で、異なるソースからの画像を組み合わせて操作することのできる初期の「ビデオ・シンセサイザー」を製作し、それまでの電子的な動画制作を一変させました。
パイクはこうして、テレビとビデオという新しい芸術メディアを生み出し、まさに新境地を開いたのです。
当時の代表的な作品としては、ビデオテープ「グローバル・グルーヴ」(1973年)、彫刻「テレビ仏」(1974年)、「テレビ・チェロ」(1971年)、インスタレーション「テレビ庭園」(1974年)などバラエティに富んだユニークな作品が挙げられます。
また、世界規模の衛星テレビ番組なども手がけました。
パイクは、1977年にビデオ・アーティストの久保田成子と結婚し、その後ドイツのハンブルク美術大学やデュッセルドルフ州立美術アカデミーにおいて教鞭をとるようになります。
その後も、2つの大規模な回顧展を含む数多くの展覧会を開催し、ドクメンタ、ヴェネツィア・ビエンナーレ、ホイットニー・ビエンナーレなどの主要な国際美術展で紹介される国際的な現代アーティストとして活躍を続けます。
パイクは、2006年1月29日、アメリカのフロリダ州マイアミの別荘にて亡くなりました。
2008年には、ナムジュン・パイク・アートセンターが、韓国のソウル郊外の龍仁市に開館しました。
フルクサスとは?
パイクも関わりを持っていた「フルクサス」とは、1950年代後半に当時の美術界に見られたエリート主義的な態度に幻滅した多国籍アーティストたちが集まって生まれた前衛芸術運動の活動グループのことを指します。
フルクサスは、フューチャリストやダダイストからインスピレーションを受けたとされており、特にパフォーマンス的な要素に注目していました。
フルクサスの提唱者はリトアニア出身のデザイナー・建築家のジョージ・マチューナスで、「フルクサス」とはラテン語で『流れる』『変化する』という意味を持っています。
フルクサスは、前衛芸術運動の活動グループとしての明確な主義や主張を定義することなく、様々な解釈ができる表現、ユーモアのある表現を推進していました。
フルクサスの主なメンバーは、ナム・ジュン・パイクの他に、ジョージ・ブレクト、ヴォルフ・フォステル、オノ・ヨーコ、ヨーゼフ・ボイスなどが有名です。
ナム・ジュン・パイクの代表作品
「Robot K-456」1964年
パイクにとって初めてのロボットの形をした作品「Robot K-456」は1964年の第2回ニューヨーク・アヴァンギャルド・フェスティバルにて発表されました。
日本人エンジニアの阿部修也との共同制作であるこの作品は、20チャンネルのリモコンを人が遠隔操作して動かすロボットであり、街中を歩き回ってジョン・F・ケネディ大統領の演説の録音を再生したり、まるで排泄するかのように豆を落としたりすることができるものでした。
「Robot K-456」は、モーツァルトのピアノ協奏曲No.456にちなんで命名されたそうです。
本作品は、パイクのパフォーマンスにも度々参加してきましたが、1982年、ホイットニー美術館で開催されたパイクの回顧展にて、「Robot K-456」が道路を横断している時に車に轢かれるというアクシデントが発生してしまいます。
パイクは、このパフォーマンスを『21世紀最初のカタストロフィー』と呼び、人間のように感情を持ち生死を経験する『人間化された機械』を提案しようとしました。
「Global Groove」1973年
『これは、地球上のどのテレビ局にも切り替えられるようになり、TVガイドがマンハッタンの電話帳のように太くなる、明日のビデオ風景の一端である。』 ー そんなイントロで始まるのは、ビデオアート史における代表作として知られるパイクとジョン・J・ゴドフリーと共同で制作したビデオアート作品「Global Groove」です。
電子コラージュ、テレビの言語を破壊する音と画像の模倣・寄せ集めのような本作品は、世界中のパフォーマーを編集し、それぞれの映像をミックスしたものです。
メディアが飽和した世界におけるコミュニケーションについての過激なマニフェストとして表現されています。
パイクは異文化の要素や、芸術界の有名人物、ポップな図像学を融合させた本作品からは、ネオ・ダダ的なスタイル、視覚的ウィットやシュールな感性を感じられます。
グローバルテレビのチャンネルの中で幻覚のように様々な文化やイメージが融合されている、制御されたカオスとして、ビデオ、テレビ、現代美術に関してのメッセージ性のある作品です。
「TV Buddha」1974年
TV Buddhaは、パイクが1974年に初めて制作したビデオ・スカルプチャー作品です。
この作品は、テレビ画面に映し出された自分自身の姿を見ているブッダの彫刻であり、スクリーンの映像は、ブッダを撮影したライブ・ビデオ・カメラによって生成されています。
このインスタレーションでは、近代化や新しい技術と宗教的・歴史的テーマとを並置する形で、東洋と西洋の違いや、現代的・未来的な要素と歴史的な要素の違いを浮き彫りにしました。
また、この作品からは現代の虚栄心やテクノロジーとメディアに支えられた絶え間ない監視について問いかけるメッセージ性も感じられます。
パイクは、「TV Buddha」のような禅や道教、仏教の影響を示した作品も制作しています。
「TV Garden」1974年
1974年に制作された巨大なインスタレーション「TV Garden」は、生い茂る植物の中に大小さまざまなビデオモニターが隠されておりまるでその茂みの中に生えているように見える、自然と科学技術が一体となった作品です。
ビデオモニターには、1973年に制作された「Global Groove」が流されており、没入型のビデオ・インスタレーション作品の新しいスタンダードとして知られ、多くの現代アーティストの作品に影響を与えています。
「Electronic Superhighway」1995年
1964年に渡米したナム・ジュン・パイクも、当時アメリカのその巨大なスケールの国土に圧倒されたことでしょう。
1995年に制作された「Electronic Superhighway」は、この巨大な国を車で横断することを可能にした高速道路や、モーテルやレストランに光り輝くネオンカラー、各州独自のアイデンティティと文化を表したような色彩の違いを感じ取ることができます。
一方で、テレビの出現の影響をアメリカ全体が大きく受け、均一化されている現代の姿も感じられます。
日本でナム・ジュン・パイクの作品が見られる場所は?
「Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix」福岡県・キャナルシティ博多
福岡県のキャナルシティ博多には、が1996年に開業した当時に設置されたパイクのビデオ・アート「Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix」が修繕され、今でも展示されています。
180台のブラウン管モニターを使った作品で、数年前にはその大半が経年劣化により消えた状態だったそうですが、2019年からは映像の放映を停止し、調査と作業を経て、2021年8月に修繕が完了しました。
現在はすべてのモニターが開業当時のように映像を映し出しています。
本作品は、旧福岡シティ銀行頭取の四島司が、ニューヨークの現JPモルガンチェース銀行のロビーにあるパイクの作品をみて感銘を受けたことをきっかけに、福岡県のキャナルシティ博多に設置されることが決まったと言います。
「視覚トリップ展」東京都・ワタリウム美術館
東京都のワタリウム美術館では2022年1月22日(土)から 5月15日(日)まで、「視覚トリップ展」を開催中です。
本展覧会では、ワタリウム美術館のコレクションの中から厳選された様々なアーティストたちの作品を通し、視覚体験を楽しむことができます。
アンディ・ウォーホルやナム・ジュン・パイク、ヨーゼフ・ボイスが描いたドローイング作品などが展示されています。
まとめ
ビデオ・アートの父であるナム・ジュン・パイクの作品は、当時のテクノロジーやデバイスを用いた作品として、古くなっているのにも関わらず、作品として古めかしさがないと個人的に感じます。
韓国に生まれ、香港、日本、ドイツ、アメリカと様々な国で暮らし、創作活動をしてきたパイクの感性はとてもユニークで、彼の観点からの問いかけ、メッセージが込められた作品は、鑑賞者としても深く楽しめると思います。
現代アートの展示を見に行くと、インスタレーションやビデオ・アートが今では数多くありますが、それらのパイオニアであるパイクについて知っておくと、新しい視点を持って現代アートを楽しむことができるかもしれません。
参考
Smithsonian American Art Museum「Nam June Paik」 https://americanart.si.edu/artist/nam-june-paik-3670
Yahooニュース「キャナルシティ博多のナムジュン・パイク作品はいかに修繕されたのか。メディア・アートの「魂」を未来へ運ぶために」https://news.yahoo.co.jp/articles/bac7fafb6ce3bf04e7b83d36b0b3f7a50b397a46
美術手帖「「ヴィデオ・アートの父」の生涯を振り返る。ナム・ジュン・パイクの大回顧展がテート・モダンで開催中」https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/20881
Public Delivery「Nam June Paik’s TV Buddhas – His best-known work」https://publicdelivery.org/nam-june-paik-tv-buddha/
ナム・ジュン・パイクは、ビデオアートや立体作品などで特に有名であるため、それらのカテゴリの商品がより高額で落札されている傾向にあります。