経歴
ヨーゼフ・ボイス(以下、ボイス)は1921年5月12日、ドイツとオランダの国境にあるクレフェルドで生まれました。1930年に父と叔父が小麦粉と飼料の仕事をしていたので、リンデルンに移りました。幼少期に見た鹿や白鳥などの野生動物の記憶が、その後の彼の芸術活動において重要な意味を持つことになります。
ボイスは、地元の学校で自然科学を学びます。その頃、地元の彫刻家アキレス・モートガットと知り合い、彫刻の持つ潜在的な力に影響を受けたそうです。
第二次世界大戦の初期、ボイスは無線通信士とパイロットとして入隊しましたが、勉強を続けていました。1943年には、自分の経験をもとにしたスケッチを描くようになり、自然科学は自分の職業にはならないと考えるようになっていきました。
1943年、戦時中にボイスにとって重要な出来事がありました。
18歳だったボイスはドイツの空軍に配属され、乗っていた飛行機が迎撃により墜落。大きな傷を負ったところタタール人に救出され、「体に脂肪を塗りフェルトでくるむ」という体温維持のための処置によって一命をとりとめた、というものです。
引用:現代アートの歩き方
特に、ボイスの作品には脂肪とフェルトを使った作品が多いです。自然素材の再生力を、彫刻作品で追求していくきっかけとなりました。
戦後、ボイスは地元の芸術家グループと一緒にドローイングを展示しました。そしてデュッセルドルフ美術アカデミーに入学し、彫刻を学びます。初期の作品は植物や動物、神話をテーマにしていましたが、その後、戦争のトラウマをテーマにした作品を作り始めます。
1962年、デュッセルドルフ美術アカデミーの教授に就任したボイスは、前衛芸術運動「フルクサス」に参加します。フルクサスとは、芸術の伝統的な考え方を破壊し、パフォーマンスによって観客も巻き込む芸術運動です。
誰もが社会の形成のプロセスに加わるべきだと訴えかけたボイスのパフォーマンスは、ヒューマニズム、社会哲学、人智学の概念に基づいています。ボイスはアートを通じて、政治的、環境的など非常に幅広いテーマについて公開討論や社会運動を行いました。ボイスはその芸術人生を通し、「自ら考え、決断し、行動することで社会参加せよ」とのメッセージを訴え続けました。
またボイスは、自分を象徴するものを身につけていました。特に彼の特徴となったのは、つばの平らなフェルト帽でした。また、「人間は誰でも芸術家である」というテーマを掲げ、それを社会的な思想として表現していきます。
1970年代にはボイスをテーマにした大規模な展覧会が開催されました。謎めいていて、力強い作品は20世紀後半の最も影響力のあるアーティストの一人として広く知られています。彼の思想はバンクシーを始めとする現代アーティストにも受け継がれています。
1986年1月23日、長い闘病生活の末、心不全のためデュッセルドルフで死去しました。
まとめ
先日、ボイスの展示を見に行ってきました。20世紀最も影響のあるアーティストと言われているので、とても期待高く展示会場に足を踏み入れました。ボイスの作品を見た時、これは芸術?これが20世紀最大の芸術家の作品??と衝撃が走りました。
ただ木箱が並べられた展示やフェルトが丸まったものが置かれているインスタレーション、頭から蜂蜜をかけたボイスが死んだウサギを抱いて話しかけてる映像など見てすぐに理解できるものが少なかったです。
そして展示の中にあったフェルトのスーツは、価格を調べて本当に驚きました。このスーツなんと630万円競り落とされていました。
展示や解説を見ていく中で彼がどうして美術史に残るアーティストなのか理解できました。それはボイスは社会とアートを結びつけたからです。
ボイスが活動を始める以前の美術は、美術館に展示される美しい絵を作ることがアーティストの仕事でした。しかし、ボイスは美術館を飛び出し、アートを通じて社会の問題を世間に問いかけました。自然保護や政治など今まで観客が関心のなかった出来事を取り上げて皆んなで解決していこうと問題提起をしたのです。
ボイスは教育者でもあって多くのアーティストを輩出させました。自らが新しいアートの形を示していく生涯はとても素敵ですね!
参考
現代アートの歩き方「ヨーゼフ・ボイス」
Artpedia「ヨーゼフ・ボイス / Joseph Beuys拡張された芸術概念「社会彫刻」」
あなたの知らないアートの世界「20世紀美術の革命家ヨーゼフ・ボイスと社会彫刻」
shiranaiart.blogspot.com/2014/03/blog-post_23.html