終了大竹伸朗展:東京国立近代美術館で開催中!
※本展示会は終了しています。
2022年11月1日(火)から2023年2月5日(日)まで、東京国立近代美術館にて開催中の「大竹伸朗展」は、2006年に東京都現代美術館で開催された「全景 1955-2006」以来、16年ぶりの大規模な大竹伸朗の回顧展です。
初期の作品からコロナ禍に制作された新しい作品まで、約500点もの作品が展示される本展は作品の規模も小さな手製本から大規模な小屋型のインスタレーションまで様々で、圧倒的なボリュームと密度の作品展です。
本展示は、7つのテーマ「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「層」「音」に基づいて構成されており、作品のエネルギーを感じ、大竹の作品の世界観に没入できる空間となっています。
12月17日(土)の16:00〜17:30には、定員130名(事前申込制)の大竹伸朗本人によるトークイベントも開催されるようです。約半世紀、創作活動をしているアーティスト本人から、制作背景などについて聞くことができるチャンスですので気になる方はぜひ申し込んでみてはいかがでしょうか。(トークイベント参加申し込みはこちら)
大竹伸朗展
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー、2Fギャラリー4
東京国立近代美術館 大竹伸朗展 https://www.momat.go.jp/am/exhibition/shinro-ohtake/
会期:2022年11月1日(火)~2023年2月5日(日)
休館日:月曜日(ただし1月2日、9日は開館)、年末年始(12月28日~1月1日)、1月10日(火)
開館時間:10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで
観覧料:一般 1,500円(1,300円)、大学生 1,000円(800円)
*( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
*高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。
*キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。
*本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)もご覧いただけます。
大竹伸朗の経歴
大竹伸朗(以下、大竹)は、1955年10月8日に東京都目黒区に生まれました。
小学校入学当時から、漫画家になることを心に決めた大竹は、幼少期には「名犬ラッシー」、「うちのママは世界一」、「ポパイ」、「ブロンコ・シャイアン」、「とつげき!マッキーバー」などのアメリカのテレビ番組に魅了され、大きな影響を受けたといいます。
漫画家として第一作目「がんばれ!三ちゃん」を制作しました。当時の大竹は、8歳年上の兄と一緒にレコード店に通い、アメリカン・ポップスや和製ポップス、民族音楽風の民謡などにも興味を持ったといいます。その後も大竹は兄の影響で海外のサウンドトラック・レコードやファッション、アート系の雑誌にも興味をもちインスピレーションを得ていたといいます。
小学校3年生の頃には、漫画雑誌「少年マガジン」に連載されていた「紫電改のタカ」のカラー図版を用いたコラージュ作品「黒い」「紫電改」を制作しています。
1965年には、虫プロダクションに通い、スタッフから絵の指導を受けたりセル画を貰ったりしたといいます。
1968年、中学に入学した頃から、東京国立博物館の展覧会「レンブラント名作展」で見た作品の影響もあり、油絵にも興味を持ち、独学で描くようになったそうです。
高校入学後には、サッカー部に入った大竹ですが、週に1回近所の絵画教室に通って絵を描き続けました。
当時、現代美術の本を読んだことで現代アーティストの巨匠アンディ・ウォーホルやデイヴィッド・ホックニーらの作品を知ったことにより、画家という職業にリアリティを抱くようになったのだといいます。
東京芸術大学美術学部絵画科を受験したものの不合格となった大竹は、武蔵野美術大学造形学部油絵学科に補欠入学しましたが、大学を休学して北海道別海町のウルリー牧場にて無給無休、住み込みで働きました。北海道内を撮影したり、スケッチを描いたりして周った大竹は、4月に東京に戻ってきた後大学に復学し、その後初の立体作品「男」を制作しました。
1977年5月に、大学を休学してイギリス・ロンドンに渡り、スケッチや写真撮影をして過ごしていた大竹はロイヤル・カレッジ・オブ・アートの卒業展にてラッセル・ミルズの作品に衝撃を受けたといいます。同年に、ラッセル・ミルズと会うことになり、その後も交流を続けていました。また、デイヴィッド・ホックニーに面会し、しばらくの間作品を見てもらうようにもなったそうです。
1978年5月に日本へ帰国した後は、大学に復学し、リトグラフ、オフセットなど、印刷印画紙やフィルムによる作品など新たなジャンルの作品に興味を持つようになったほか、中学時代の後輩とノイズ・ユニット「JUKE/19.」の前身となる音楽活動をスタートしました。
1980年3月に武蔵野美術大学油絵学科を卒業した大竹は、4月から8月まで再びロンドンに滞在します。その後、改めてデイヴィッド・ホックニーのスタジオに通ったのだそうです。
同年6月には、ノートルダム・ホールで、ブルース・ギルバート、グラハム・ルイス、ラッセル・ミルズと共にサウンド・パフォーマンスを行い、10月には「JUKE/19.」を結成しました。12月には最初のアルバム『JUKE/19.』を発売したほか、ライブ活動なども行いましたが、4枚目のアルバムを発表した後にグループは自然消滅のような形で活動をストップしました。
1982年12月、初の個展となる「大竹伸朗 個展」を東京のギャルリーワタリにて開催しました。
1986年には初の画集「《倫敦/香港》一九八〇」を出版します。
その後も、現在に至るまで、国内外で積極的に展覧会やパフォーマンス、テレビやラジオの出演など活躍し続けています。
大竹伸朗の有名な作品
「はいしゃ」2006年
大竹はアートの島として知られる直島のアートプロジェクト「家プロジェクト」にも参加しています。
「家プロジェクト」とは、日本を代表するする建築家の安藤忠雄や写真家の杉本博司などが関わったことで知られており、直島の本村地区にある古民家が現代アーティストたちによって改装され、家そのものの空間を作品化した7つの建築物からなるプロジェクトです。
大竹は、そのうち「はいしゃ」と呼ばれる建物を手掛けました。もともと歯医者兼住居として使われてた建物を作品化したもので、歯茎色の外壁には大量の歯が埋まっていたり、中に自由の女神像がいたりと、個性豊かで大竹の世界観を楽しめる作品になっています。
「モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像」2012年
ドイツ・カッセルで行われた「ドクメンタ13」展で発表された「モンシェリー:自画像としてのスクラップ小屋」は、小屋型の大規模な作品で、かなりの存在感を放っています。
小屋の内外には様々な印刷物や習字などが貼り付けられており、看板、ギター、自転車、人形、キャンピングカー、金属の棒材、サーフボード、スピーカー、漁の投網、ランプなど様々なオブジェがブリコラージュされ、異形の小屋が形成されています。
小屋の内部には、巨大なスクラップブックが内包されているところも見どころです。
「女根/めこん」2013年
「女根/めこん」は、2013年の瀬戸内国際芸術祭にて直島にある休校中の女木小学校の中庭制作された作品です。
タイトルの「女根/めこん」は、女木島の『女』と、「生命力」の象徴としての『根っこ』、そして本作品が女木島の人々の憩いの場として島に『根付いていくこと』への願いが込められているといいます。
「白壁のビル景2」2017年
大竹は1970年代ころから現在まで約50年間、国内外で生活してきた自身の記憶をたどりながら描いた「ビル景」を欠かさず制作してきました。
東京、ロンドン、香港など、さまざまな都市で体感した騒音、気温、匂いなどの記憶をビルという形をモチーフに描いた仮想の風景である「ビル景」は、作品ごとに全く違う雰囲気を持っています。
「白壁のビル景2」は2017年に描かれたもので、暗闇の中に白いビルが映えて印象的です。
まとめ
多様なジャンルの作品を制作するマルチな現代アーティストである大竹伸朗は、個性的で大胆な作品から、型にとらわれることなく自分の中に湧き起こる未知の衝動や即興性を重視して、柔軟に作品に落とし込んでいることがわかります。
大竹ワールドを体感したい方は、ぜひ東京国立近代美術館にて開催中の「大竹伸朗展」に行ってみてください!
参考
大竹伸朗公式サイト https://www.ohtakeshinro.com/
Wikipedia 大竹伸朗https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%AB%B9%E4%BC%B8%E6%9C%97