経歴
ブリンキー・パレルモは、1943年にドイツのライプツィヒで生まれました。本名はペーター・シュヴァルツェです。幼児期に双子の兄と共に、養子に出され、ペーター・ハイスターカンプと名前が変わり、1962年にミュンスターに移住しました。
1962年にパレルモはデュッセルドルフ美術アカデミーで美術を学び始め、アーティストのヨーゼフ・ボイスに師事しました。その2年後には、アメリカのマフィアでボクシングプロモーター、ブリンキー・パレルモの名前をとって、作家名を「パレルモ」と名乗るようになります。この頃、色鮮やかな布をキャンバスに縫い付けた「Stoffbilder(布絵画)」と呼ばれる一連の作品を制作し始めました。
そして、カンバスや木枠といった支持体を用いる絵画の従来の考え方を覆し、円や三角、十字型の支持体を用いて絵を描く「空間を利用したアート」を生み出しました。
1968年からドイツで作品を発表し始め、ニューヨークに渡りました。
アメリカに渡ってからも面白い支持体を用いるという作風は変わらずに、鉄やアルミニウムにアクリル絵の具を塗布した「Metallbilder(金属絵画)」と呼ばれる絵画シリーズをの制作を開始しました。パレルモの作品は、幾何学的な形と鮮やかで飽和した色を特徴とするものが多く、さまざまな素材を作品に取り入れています。
1977年、モルディブを旅行中に33歳の若さで急逝しました。
まとめ
パレルモの作品は、色や形へのこだわりを感じました。そして、何よりも色が綺麗でとても美しかったです。パレルモはミニマムアートの先駆者です。そのためパレルモの作品を見て「今っぽい」と感じました。様々なアーティストがパレルモからインスピレーションを得ているので「作家のための作家」として知られていると思います。

ヨーゼフ・ボイスは後に絵画制作について、「パレルモを自身にもっとも近い表現者」だったと認めています。20世紀後半、絵画や物の価値観が変わりゆく中でアートに向き合い新しいアートの扉を開けました。
ミニマルアート、コンセプチュアルアートなどの独自の作品を多く残し、現在もアーティストに対して影響を与えています。
参考
参考
ART IT「ボイス+パレルモ @ 豊田市美術館」
ARTBOOK EUREKA「ブランキー・パレルモ」
