鈴木其一

Suzuki Kiitsu
アーティスト紹介

DATA

ニックネーム
琳派の風雲児
作者について
鈴木其一は、近江国(現在の滋賀県)の染物屋の家に生まれ、琳派の後継者として近代絵画の先駆者となった江戸時代の画家です。

現在の値段

39,577円

「四季草花図」45万円(古美術瀬戸)
「福娘之図花卉描表装」落札予想額:50万円〜80万円(エスト・ウェスト オークションズ)

掛け軸は50万円から100万円です。鈴木其一の作品の真贋は、線の美しさを鑑定するそうです。金屏風はオークションで販売されると数千万円から数億しますが、買い手が見つかりにくいのでお勧めしません。

経歴

鈴木其一(以下、鈴木)は1796年に近江出身の染物屋の息子として江戸で生まれました。優れた色彩感覚は、幼少の頃から織物に触れていたからだと言われています。

幼少期以降の鈴木の人生は3つの時代に分けられますので、順を追ってお伝えします。

①見習い時代

そして18歳のときに、酒井抱一(以下、抱一)の内弟子となりました。

酒井抱一(さかいほういつ、1761~1829年)は、江戸時代の後期、幕末の頃に活躍した絵師で俳人です。尾形光琳に私淑した酒井抱一は、優雅で粋な琳派の気風に風雅な俳句の世界観を取り入れることで、より洗練された画風を生み出しました。

This  is media「琳派とは?知っておきたい琳派の巨匠と代表作」https://media.thisisgallery.com/20199441

鈴木は抱一の住み込みの弟子となり、最も有望な弟子となっていきました。さらに、抱一のはからいで酒井家の家臣になり、安定した暮らしの中で画業にいそしみました。鈴木は絵だけでなく、茶道と俳句を学び文化人との交流もしていきました。

②噲々(かいかい)時代

1828年に抱一が死去した後、古い寺社を訪ね、古書画を学びました。研磨を重ね、抱一の画風から脱却した、色彩鮮やかでダイナミックな絵に転換していきます。

30代半ばから10年間ほど「噲々(かいかい)」という称号を使用しました。特にこの時代の有名な絵画は「風神雷神図襖(ふうじんらいじんずふすま)」です。鈴木らしい独特なセンスを感じます。試行錯誤しながら、一代絵師として活躍していきます。

風神雷神図襖

③菁々(せいせい)時代

1841年から1846年にかけて抱一が出版した「光琳百図」の版木が焼失したため、再出版に向けた複製を始めました。そこで100年前に活躍していた琳派の俵屋宗達や尾形光琳を独学で学び、その後の鈴木の画風に影響を与えます。この頃は菁々(せいせい)と名乗り、多くの大名や豪商の高い支持を得ました。

1858年のコレラ再流行により63歳という若さで急死してしまいました。しかし、近年の所謂「奇想の絵師」達の評価見直しが進むに連れて、琳派史上に異彩を放つ絵師として注目を集めています。平成20年(2008年)東京国立博物館で開かれた『大琳派展』では、宗達・光琳・抱一に並んで其一も大きく取り上げられ、琳派第4の大家として認知されつつあります。

まとめ

私はNYに住んでいるころ良くメトロポリタン美術館にいきました。世界各国から集められた美術品が並んでおり、特に私のお気に入りは『日本』の展示でした。

鎖国後日本文化より西洋文化が重んじられ捨てられていった浮世絵や刀など、逆に日本ではみられないお宝も飾られています。

その中で特に目を惹いた展示が鈴木其一の「朝顔図屏風」金色の屏風に真っ青な朝顔。迫力があるのに繊細で美しい印象でした。またいつか絶対に見たい!と思える作品でした。

朝顔図屏風

参考

八光堂「江戸琳派・鈴木其一」

https://www.hakkoudo.com/weblog/2016/12/17/江戸琳派・鈴木其一/

コトバンク「鈴木其一」

https://kotobank.jp/word/鈴木其一-83832

古美術景和「酒井抱一の継承者として江戸琳派の継承に貢献」

https://keiwa-art.com/artist/suzukikiitsu-life
ABOUT ME
しおり岡
しおり岡
編集長/ライター。小学生の頃はエジプト文化、中学生では西洋美術、高校生は日本の歴史にハマり、大学在学中に仏像に恋をして、学芸員を取得。卒業後、大手人材会社で営業を経験。その後、飲食店の広報・デザイナーを経て、アメリカ・NYにて転職。コロナウイルスのため帰国し、現在は日本に滞在中。趣味は「美術館や遺跡を経験するための海外旅行」。今まで40カ国以上を旅行をし、世界の建築や文化、食事、アートに触れる。