ミュシャの経歴

アルフォンス・マリア・ミュシャ(以下、ミュシャ)は、1860年に現在のチェコ共和国にあたるモラヴィア地方のイヴァンチツェという町に生まれました。
ミュシャは幼少期から絵を描くことが好きで、その才能は地元の商人が認めるほどだったといいます。絵画だけでなく、サン・ピエトロ大聖堂の少年聖歌隊員に加入した後、歌唱力が認められたことでモラヴィア地方の首都ブリュン(現在のブルノ)で高校までの教育を受けることができました。
その後モラヴィアで装飾画の仕事を始め、主に劇場の風景画を描いていたミュシャですが、1879年にオーストリアのウィーンに拠点を移し、大手演劇デザイン会社で働くようになります。1881年に火災によって会社が消失したため、モラヴィアに戻った後は、フリーランスで装飾画や肖像画を描くようになったといいます。
1887年、 ミュシャはフランス・パリに移り住みます。
アカデミー・ジュリアン、アカデミー・コラロッシで芸術の学びを深めながら、雑誌や広告の挿絵を制作していたミュシャは、1894年にパリの大女優サラ・ベルナール主演の演劇「ジスモンダ」の宣伝用ポスターを偶然制作できることになりました。
1895年1月1日にパリの街に登場したその広告は、一夜にしてミュシャを売れっ子にした出世作となり、このポスターの大成功に満足したベルナーレは、ミュシャと6年のポスター契約を結びました。
その後ミュシャは、ポスター、絵画、広告、本の挿絵、宝石、カーペット、壁紙、舞台装置など多岐に渡るデザインを次々と世に出していきます。

ミュシャのデザインのスタイルは当初、「ミュシャ・スタイル」と呼ばれていましたが、後にフランス語で『新しい芸術』の意味を持つ「アール・ヌーヴォー」と呼ばれるようになります。この美術様式は、1900年のパリ万国博覧会では世界的に知られるようになりました。
アール・ヌーヴォーが有名になった影響で、1904年にアメリカに招待されたミュシャは、2ヶ月ほどの滞在の間にニューヨーク、フィラデルフィア、ボストン、シカゴと都市部を巡って上流階級のための注文肖像画を描きました。
その後ミュシャは一時的にパリやボヘミアに戻るも、1910年までアメリカに滞在し、美術学校などで教鞭をとりながら、肖像画、壁画、ポスター、デザインなどの制作を続けていました。
1905年にチェコの小説「すべてに抗して」の影響を受け、チェコの歴史を絵で表現することを構想していたミュシャは、その資金集めのためにも、アメリカで多くの仕事を受けていたそうです。
この構想をもとに制作された「スラヴ叙事詩」は、ミュシャのパトロンとなった実業家のチャールズ・リチャード・クレインによる資金援助も受けて実現しました。
1910年にチェコのプラハに拠点を戻したミュシャは、プラハ市長の公館の装飾壁画などの政策を通じて自身の芸術的才能を国のために使うようになります。
第一次世界大戦後、チェコスロヴァキアのオーストリア=ハンガリー帝国からの独立後も、ミュシャは通過や国章、切手などのデザインをはじめとした国家の公共事業に多数関わりました。

晩年のミュシャは、1936年ごろから大作として知られる三部作「理性の時代」「英知の時代」「愛の時代」の制作を始めます。
1930年後半、ファシズムの台頭よりスラヴ民族思想が非難されるようになった影響を受け、ミュシャの作品も否定的に扱われるようになり、1939年にドイツ軍によって
1930年後半にファシズムが台頭するとミュシャの作品やスラヴ民族思想は反動的に非難されるようになる。1939年にドイツ軍がチェコスロヴァキアに進駐すると、ミュシャはナチスドイツの秘密国家警察ゲシュタポにより逮捕されてしまいます。
ミュシャはゲシュタポからその後解放されたものの、肺炎を患い老衰していたミュシャは、1939年7月14日にプラハで肺感染症で亡くなりました。
ミュシャの有名な絵画作品
「ジスモンダ」1894年

「ジスモンダ」は、ミュシャを一夜にして有名にした出世作として知られています。
パリの大女優サラ・ベルナール主役の芝居「ジスモンダ」のポスターの仕事を偶然にも急遽任される機会を得たミュシャは、納期が短い依頼を受けてポスターを完成させました。
このポスターは極端に縦長の構成で、虹色のアーチ上の窓の前にベルナールをモデルとした女性が美しく描かれています。
「椿姫」1896年

「椿姫」は、パリの大女優サラ・ベルナール主演の舞台「椿姫」のために制作されたポスターです。
「椿姫」は19世紀フランスを代表する有名な小説が題材となっており、高級娼婦「椿姫」のマルグリット・ゴーティエと青年アルマン・デュヴァルとのロマンスについて描かれた物語です。
ポスターに描かれているのはマルグリット役のサラ・ベルナールで、星が輝く夜景をバックに軽く目を閉じて佇んでいる姿が美しく表現されています。
「ジョブ」1896年

タバコ会社「ジョブ」の広告として制作されたこのポスターは、タバコに火をつける美しい女性が主役として描かれた作品です。
ビザンティンのモザイク画からインスピレーションを得た金のジグザグの縁取り、紫の背景、タバコの渦巻く煙が彼女の髪やジョブのロゴに絡み合っている様子など、豪華で官能的な雰囲気を感じられます。
当時、女性が人前でタバコを吸うことはタブー視されていましたが、このような大胆なポスターを制作することによって、商業ポスターを美しく仕上げ、伝統的な概念の克服に貢献しました。
「四季」1896年

ミュシャ装飾パネルの第1作である「四季」は、1896年に制作されました。
他のポスターと同様にリトグラフ技法で制作されたこの作品は、ミュシャの季節を題材とした連作の中でも最も完成度が高く、人気がある作品です。
春夏秋冬を擬人化した女性のポーズ、衣装、仕草によってそれぞれの季節感を表現しています。
アール・ヌーヴォーらしい装飾性が美しく、日本美術の表現や日本の屏風からインスピレーションを得たとも言われているそうです。
「スラブ叙事詩」シリーズ 1910年〜1926年

「スラブ叙事詩」は、スラブ民族の歴史、チェコ人の歴史を題材としてミュシャが16年もの長い歳月をかけて完成させた計20作のシリーズです。
ミュシャが生まれ育ったチェコは、他国の支配下にあった歴史などもあり、スラブ民族は東欧周辺の各地に散りじりになっていました。
各地で抑圧された生活を送っていたスラブ民族について知ったミュシャは、スラブの独立のための活動に目覚め、「スラブ叙事詩」を1910年より制作し始めました。
「スラブ叙事詩」の基本寸法は6×8メートルという巨大なサイズになっています。
抑圧され続けてきたスラブ民族、チェコ人というアイデンティティーを強く持っていたミュシャは、晩年にその思いを込めて「スラブ叙事詩」を製作しました。
ミュシャの展示会
「アール・ヌーヴォーの華 アルフォンス・ミュシャ展~ミュシャとアール・ヌーヴォーの巨匠たち~」

2021年12月26日から2022年1月10日まで東京・新宿の小田急百貨店新宿店にて開催された展覧会「アール・ヌーヴォーの華 アルフォンス・ミュシャ展~ミュシャとアール・ヌーヴォーの巨匠たち~」では、ミュシャの作品500点以上が展示され、2万人以上の来場を記録した2018年の初開催のミュシャ展に続き、大反響となりました。
「星シリーズ四連作」などの華やかなパリ時代を象徴する商業ポスターを始め、有名な作品から東京で初めて展示される作品、資料が揃った新たな発見が楽しめる展示内容となっていました。
「動く、ミュシャ展」

ミュシャの作品をデジタルアートとして映像や音楽と融合させて蘇らせる、没入型の展覧会「動く、ミュシャ展(iMUCHA IMMERSIVE EXHIBITION:アイミュシャ イマーシブ エキシビション)」を2022年の夏にパシフィコ横浜で開催する予定です。
「動く、ミュシャ展」では、ミュシャの大作「スラヴ叙事詩」の世界観を、デジタルアートの技術やオーケストラの音楽とシンクロさせて表現した空間に来場者が没入し、新しい形でアートを体感することができます。
没入型のインスタレーションとしては、「ファン・ゴッホ:イマーシブ・エクスペリエンス」などのデジタルアート展覧会が昨今人気になっていますが、アール・ヌーヴォーの第一人者として日本でも高い人気を誇るミュシャの華やかな作品を新しい形で鑑賞することができる絶好の機会です。
堺 アルフォンス・ミュシャ館

大阪府堺市にある「堺 アルフォンス・ミュシャ館」には、ミュシャとその関連作家のポスター、油彩画、彫刻、宝飾品など様々な作品約500点が展示されています。
ミュシャの初期から晩年期に渡る作品を見ることができる場所として、アール・ヌーヴォーのファンにはオススメのスポットです。
展示されている作品は、株式会社ドイの創業者、土居君雄氏(1926年〜1990年)のコレクションで、現在堺しが所蔵しているそうです。
住所:〒590-0014 大阪府堺市堺区田出井町1-2-200 ベルマージュ堺弐番館
internet museum「堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市立文化館)」https://www.museum.or.jp/museum/5197
電話:072-222-5533
開館時間:9時30分~17時15分
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、休日の翌日(翌日が土・日・休日の場合は開館)、年末年始、展示替期間
料金:一般510円、高校・大学生310円、小・中学生100円
ミュシャのグッズ
堺 アルフォンス・ミュシャ館の2階のミュージアムショップでは、ミュシャのオリジナルグッズとしてクリアファイルや関連書籍などを販売しています。

ミュシャのオススメ画集
「ミュシャ装飾デザイン集」

ミュシャは、学生やデザイナー、イラストレーターなどからの要望より、デザイン画集のような形で「装飾資料集」と「装飾人物集」を刊行しました。
この幻の2冊をまとめて収録したのがデザインに特化した画集「ミュシャ装飾デザイン集」です。
ミュシャの作品によくみられるような美女や動植物のモチーフ、抽象的な模様など、また家具や装身具などのデザインが「装飾資料集」に、様々な姿や衣装、ポーズ、年齢の女性を描いたものは「装飾人物集」で観ることができます。
「アール・ヌーヴォーの華 アルフォンス・ミュシャ 代表作から知られざる初期作品、習作まで」

ミュシャの没後80周年を記念して、世界有数のコレクションを誇る、堺 アルフォンス・ミュシャ館の秘蔵の作品を中心に構成された作品集です。
ポスター、油彩画など幅広いミュシャの代表作を網羅しており、テーマごとにミュシャの作品について解説されています。
初期の作品や下絵なども掲載されており、約750点が収録されています。
「ミュシャ: 華麗なるアール・ヌーヴォーの世界」

「ミュシャ: 華麗なるアール・ヌーヴォーの世界」では、ミュシャのヒットのきっかけとなった大女優サラ・ベルナールが語り手として、アール・ヌーヴォー時代の代表作品を中心として紹介されています。
ポスターだけでなく、装飾パネル、彫刻、宝飾品なども収録されており、パリで華々しい活躍をした時代のミュシャの代表作をチェックしたい方にオススメです。
「ミュシャ展」(展覧会公式カタログ)

ミュシャの最高傑作「スラヴ叙事詩」がチェコ国外、世界で初めて公開され大好評だった、国立新美術館で開催された「ミュシャ展」の公式カタログです。
華やかなアール・ヌーヴォー時代の作品や「スラヴ叙事詩」全20作などを収録しており、時代ごとにミュシャの作品を追いながら観ることができる図録です。
まとめ
アール・ヌーヴォーの生みの親として知られるアルフォンス・ミュシャ。
パリで成功を収めたのち、アメリカにも活躍しましたが、幼少期から育った強い愛国心から、自国チェコに還元する仕事をしたり、スラヴ叙事詩でチェコやスラヴ民族の歴史を語り継ぐことに貢献しました。
一斉を風靡したアーティストでありながら、『温故知新』の精神を大切にしたミュシャの作品についての背景を知っていると、2022年夏に横浜で開催が予定されている「動く、ミュシャ展」もより一層楽しめるかもしれません。
参考
The Art Story「Alphonse Mucha」https://www.theartstory.org/artist/mucha-alphonse/
Alphonse Mucha「BIOGRAPHY OF ALPHONSE MARIA MUCHA」https://www.alfonsmucha.org/biography.html
Artpedia「【美術解説】アルフォンス・ミュシャ「アール・ヌーヴォーの旗手」」https://www.artpedia.asia/alfons-maria-mucha/
知欲「ミュシャの巨大絵画「スラブ叙事詩」全20作を作品画像付きで解説」https://chiyoku.com/blog/mucha-slavia/
朝日新聞社「動く、ミュシャ展 2022年夏開催」https://www.asahi.com/corporate/info/14531546
