青木繁の経歴
明治期を代表する洋画家である青木繁(以下、青木)は、1882年に福岡県久留米市で下級武士の息子として生まれ、幕府崩壊後の厳しい士族社会で育ちました。
同じ久留米市生まれの同級生に、洋画家の坂本繁二郎(さかもと はんじろう)がいます。青木と坂本は同じ洋画家を目指して切磋琢磨したライバルであり親友でもあったと言われています。
16歳の時に学校を卒業せず上京し、画塾「不同舎」にて小山正太郎に師事し、1900年には、東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科選科に入学し、黒田清輝から指導を受けました。
その後数年間、青木は親友の坂本繁二郎らと、群馬県や信州などに旅行をし、行く先々でスケッチを描いたといいます。
青木の作品からは、愛読していた「古事記」から古代神話を題材にしたものや19世紀のイギリス絵画などの影響が感じられます。
1904年に美術学校を卒業した後は、千葉県の布良(めら)に親友の坂本繁二郎や恋人であった福田たねらと滞在しており、その頃にのちの代表作となる「海の幸」を描いたといいます。
1905年には福田たねとの間に子供が生まれますが、それでも当時にしては珍しく二人は入籍していなかったそうです。
父を亡くし、家族ともうまくいかなくなった青木は、1908年より九州地方の天草や佐賀を放浪し始めました。
放浪生活の中でも、絵を書き続けましたが、1911年に福岡市にて亡くなりました。持病であった肺結核が悪化した影響で衰弱していたことなどが死因とされています。
享年28歳とまだ若いうちに亡くなってしまった青木ですが、彼の親友だった坂本繁二郎は彼の死後に遺作展を開催したり、画集を製作したりと、青木の作品を後の世に伝えるため、尽力したそうです。
青木の代表作品である「海の幸」と「わだつみのいろこの宮」は国の重要文化財に指定されています。
※終了済み|展覧会「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」
2022年7月30日(土)から10月16日(日)まで、東京都中央区のアーティゾン美術館にて、展覧会「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」が開催されます。が開催されました。
近代日本を代表する洋画家の青木繁と坂本繁二郎は、互いに久留米市に生まれ、同じ学校に通い絵を習った同級生で、浪漫主義的風潮が高まる時代の中で切磋琢磨し、それぞれに独自の作風を探求しました。
生誕140年を記念して開催される本展覧会は、約250点の作品で構成されており、二人の作家の特徴や関係性を表す作品を中心に紹介されます。
アーティゾン美術館は、青木が伎楽や舞楽などの仮面を写した「仮面スケッチ」と呼ばれる作品25点を最近新たに収蔵しました。本展覧会では、これらの「仮面スケッチ」が約40年ぶりに紹介されます。
アーティゾン美術館
住所:〒104-0031 東京都中央区京橋1-7-2
https://www.artizon.museum/user-guide/
期間:(前期)7月30日[土]- 9月11日[日]、(後期)9月13日[火]- 10月16日[日]
開館時間:10:00 〜 18:00
閉館日:月曜日
アクセス:JR東京駅(八重洲中央口)、東京メトロ銀座線・京橋駅(6番、7番出口)、東京メトロ・銀座線/東西線/都営浅草線・日本橋駅(B1出口)から徒歩5分
青木繁の代表作品
「黄泉比良坂」1903年
東京芸術大学美術館が所蔵する「黄泉比良坂」(よもつひらさか)は、青木が愛読したという「古事記」のエピソードを題材にした作品です。
亡くなった妻「イザナミ」を現世に呼び戻そうとした「イザナギ」は黄泉に入り、そこで姿を見ないように言われていたのに関わらず、醜く変わり果てたイザナミの姿を目にしてしまったイザナギは、あまりの恐怖から黄泉から逃げ出そうとします。イザナミは怒って鬼や雷神とともにイザナギを追跡しましたが、イザナギはギリギリのところで逃げ切り、現世とあの世の境目に大きな岩をおいて、封鎖したといいます。
「黄泉比良坂」とは現世と冥界の境界線のことで、青木の作品は古事記のこのエピソードを生々しく描いています。
「海の幸」1904年
千葉の布良に坂本繁二郎や福田たねらと滞在していた時に描かれた「海の幸」は、青木繁の代表的な作品として知られています。
海辺で大漁の陸揚げの様子を目にした坂本が、その話を青木にしたところ、翌日から想像でその姿を描き始めたのだそうです。
九人の日焼けした漁師たちが長い槍を持ちながら大きな魚を担いでいる姿の中央に恋人であった福田たねを描いており、躍動感が感じられる作品です。
「大穴牟知命」1905年
「大穴牟知命」(おおなむちのみこと)は、古事記のワンシーンが題材となっている作品です。
大国主命の別名である大穴牟知命は、兄たちに謀られて焼け死んでしまいます。それを悲しんだ母の願いを聞き入れた神産巣日神(カミムスビ)が蚶貝比売(キサガイヒメ)と蛤貝比売(ウムキヒメ)を遣わし、彼女たちが大穴牟知を救おうとしている場面が描かれています。
「わだつみのいろこの宮」1907年
「わだつみのいろこの宮」は、古事記に出てくる「海幸彦と山幸彦」の話をモチーフに描かれています。
『いろこの宮』は鱗のような屋根をもつ宮殿のことで、『わだつみ』とは海神の綿津見(ワダツミ)のことです。
漁師の兄・海幸彦(うみさちひこ)と猟師の弟・山幸彦(やまさちひこ)は、ある日火遠理命(ほおりのみこと)から、お互いの使っている道具を交換するように言われましたが、うまくいかず、山幸彦は海幸彦は大切な釣針を海に落としてしまいました。海底まで探し行った山幸彦は、そこで美しい豊玉姫(とよたまひめ)に出会うというストーリーです。
本作品では、その出会いのシーンを艶やかに描いています。
まとめ
青木繁の作品は、「古事記」を題材とした作品が多いことが印象的です。日本の神話ながらも伝統的な日本画とは全く違う雰囲気で描かれており、短い生涯ながらも近代日本の代表的洋画家として名を残していることが納得できます。
青木の没後も意欲的に彼の作品を世に出すために尽力した親友の坂本繁二郎との二人展である「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」は、二人の作家について深く知ることができる絶好の展覧会でしょう。
参考
FASHION PRESS「洋画家・青木繁と坂本繁二郎の二人展がアーティゾン美術館で、デビュー作から絶筆まで約250点が一堂に」https://fashion-press.net/news/78480
アーティゾン美術館 https://www.artizon.museum/
Christie’s https://www.christies.com/lot/lot-1787959
「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」が重要文化財に指定されており、明治期の代表的な洋画家の1人として広く知られていること、また28歳という若さで亡くなった青木の作品は数が比較的少ないことからも、高値で取引される傾向にあるようです。