【横山大観】日本画の巨匠の経歴やエピソード、「生々流転」などの代表作品や価格をまとめて紹介

Yokoyama Taikan
アーティスト紹介
横山大観

DATA

ニックネーム
富士絵の天才
作者について
明治から昭和にかけて活躍した近代日本画の巨匠、知られる横山大観は、岡倉天心によって創設された東京美術学校の第一期生として狩野派の橋本雅邦らから日本画を学びました。 独特の画風「朦朧体」は日本国内では当時は認められなかったものの、海外からは高く評価されていました。 代表作品は「生々流転」「無我」などで、富士山を題材にした名画を多く残していることでも有名です。

現在の値段

約5,175,112円(過去36ヶ月間の平均落札価格)

2019年「Mt. Fuji」 ¥10,000,000(毎日オークション)
2020年「Mt. Fuji」 ¥6,300,000(毎日オークション)
2021年「Autumn」¥2,000,000(毎日オークション)

大観の作品(絵画や水墨画、掛け軸、襖絵、屛風など)は非常に価値が高く、数百万から数千万円することもあります。
中でも富士山を題材にした作品は、特に人気が高いようです。
横山大観

横山大観ってどんな人?経歴やエピソード

横山大観 経歴
引用:warakuweb「富士山絵の天才・横山大観の代表的な富士山絵13点を解説」https://intojapanwaraku.com/art/1443/

明治から昭和にかけての近代日本画の巨匠として知られる横山大観(以下、大観)は、1868年(明治元年)に陸国水戸(現在の茨城県水戸市)生まれました。

10歳の頃に上京し、高校では英語を学んでいた大観は、17歳から洋画家の渡辺文三郎に鉛筆画を学びます。

親の反対を押し切って、岡倉天心によって創設された東京美術学校(現在の東京藝術大学)に第一期生として入学した大観は狩野派の橋本雅邦らから日本画を学びました。

大観の卒業制作として知られる作品「村童観猿翁(そんどうえんおうをみる)」は、橋本雅邦を中央の赤い服を着た猿を操る翁に、同級生たちを周りに集まる童達として描いたと言われています。

卒業後、大観自身も教員として働くようになりますが、1898年に東京美術学校長辞職騒動によって、岡倉天心に従い、橋本雅邦や下村観山、菱田春草らとともに東京美術学校を辞職しました。

その後大観らは、在野の美術団体である「日本美術院」を設立します。

英語が堪能であった大観は、その後親友であった菱田春草とともに海外の展示会なども開催し、海外で高い評価を受けたといいます。

しかし大観の当時の作品「菜の葉」に代表されるような画風「朦朧体」は、『明瞭な輪郭を持っていない』『勢いに欠ける』『曖昧でぼんやりとしている』と批判され、保守的な日本国内の画壇からは受け入れられなかったそうです。

朦朧体は、大観の作品に見られる特徴的な画風で、色彩の濃淡を使い分けることで空気や光を表現した技法を用いて、西洋の絵画の影響を受けていると言われています。当時の東洋画は、伝統的に輪郭線をはっきりと描くのが主流でした。

大観らはその後も新しいスタイルの日本画の研究を続けましたが、日本国内での評価が得られず、結果的に日本美術院は崩壊に追いやられます。

親友であった春草や師匠であった天心が亡くなった後は、大観は在野における日本画界の代表的な存在となりました。

そして1914年には安田靫彦、今村紫紅らが加わって、日本美術院を再興します。

この頃から、皇室の制作依頼を積極的に受けるなど、大観は日本美術院の権威付けのための活動を行うようになり、一美術館としてだけでなく、指導者として政治的行動も起こすようになっていきます。

横山大観 作品
引用:Holiday「日本一の証券街「兜町」周辺を散策しよう&東証見学♪」https://haveagood.holiday/plans/7872

大観が外交面で意外な活躍をしたエピソードとして、第二次世界大戦後のGHQやマッカーサーとやりとりが知られています。

第二次世界大戦後、日本証券取引所が取引が中止になった際、通訳の清水浩がGHQに取引所再開の承認を得るため、GHQ副官のバンカー大佐と知人であった大観の助けを求めたと言います。

その結果、大観と親しかったバンカー大佐がマッカーサーなどに掛け合ってくれ、日本証券取引所が早期に再開する目処をたててもらえたのではないかと言われているそうです。

このこともあってか、東京証券取引所には現在でも所蔵している大観の作品を毎年1月に一般公開しています。

1923年に発表した代表作「生々流転」は、前兆40メートルを超える水墨画の超大作で、大観の水墨技法の全てがこの作品で見て取れると言われています。

その後大観の作品は、画廊での評価も一気に高まり、人気作家としての確固とした地位を確立しました。

亡くなる前の年にも、「霊峰夏不二」を描いていることから、大観は富士山を好んで数多く描いたことでも知られています。

大観は、1958年に89歳で亡くなりました。

現在では日本国内多くの美術館や博物館のほか、広島県の厳島神社や、兵庫県の湊川神社にも大観の作品が残されています。

横山大観の代表作品

「村童観猿翁」1893年

「村童観猿翁(そんどうえんおうをみる)」は、大観が卒業制作として製作したとして知られています。

狩野派風のスタイルで描かれており、猿廻しの翁を師匠・橋本雅邦に見立て、童たちは同級生たちの幼顔を想像して描いたと言われています。

「無我」1897年

1897年に制作された「無我」は、仏教的な思想を描いた作品です。

禅の悟りの境地を、無心の童の姿で表現したという斬新な作品で、足立美術館、東京国立博物館、水野美術館に同じタイトルでそれぞれ違う画風で描かれた3つの作品が所蔵されています。

こちらの作品は、足立美術館のものです。

「白衣観音」1908年

引用:This is Media「白衣観音」https://media.thisisgallery.com/works/yokoyamataikan_09

「白衣観音(びゃくえかんのん)」は水辺の岩に腰掛けている白衣観音が絹地に彩色されて描かれており、インドの風俗を念頭に置いて描いたと言われています。

1908年に制作され、1912年の「大観画集」に掲載されましたが、その後100年近く行方が分からなくなっていました。個人宅にて所蔵されていたことが発覚し、2018年の横山大観回顧展「生誕150年 横山大観展」にて展示されました。

歴史的な資料として価値のある作品と評価されているようです。

「群青富士」1917年

横山大観 作品
引用:This is Media「群青富士」https://media.thisisgallery.com/works/yokoyamataikan_07

「群青富士」は、琳派の影響を受けた装飾的な画風で描かれています。

自由で柔軟な表現が用いられたこの作品は、日本の伝統的な技法と斬新な表現が融合しているように感じられます。

雪の白と群青の富士、そして金地という鮮やかな色彩のコントラストに力強さを感じます。

「生々流転」1923年

横山大観 作品
引用:This is Media「生々流転」https://media.thisisgallery.com/works/yokoyamataikan_01

1923年に制作された「生々流転」は、国の重要文化財に指定されている大観の代表作品です。

「生々流転」とは、『万物が限りなく生まれ変わり死に変わって、いつまでも変化しつづけること』を意味する四字熟語で、その四字熟語の意味と同様に、流転する水の命が終わることなく循環していく普遍性をテーマとして描いており、雨水がやがて大河となり、大海へ出て、最後には飛龍となって飛び立つ姿を表現しています。

水墨画の様々な技法を駆使した大観の美術家としての技術が結集されています。

日本一長い絵巻物としても知られており、全長は40メートルにもおよびます。

「紅葉」1931年

大観が昭和期に描いた六曲一双の大屏風作品「紅葉」は、真紅の紅葉、群青色の流水、そして白金泥の漣を用いて秋の美しく力強い自然を描いています。

大観の作品の中でも、最も豪華絢爛な作品です。

還暦を過ぎてからの作品と思えないほどの力強い生命力と緊張感、気品が感じられます。

「霊峰夏不二」1955年

横山大観 作品
引用:アート名画館「横山大観【霊峰夏不二】」http://meiga.shop-pro.jp/?pid=131555587

大観が87歳を迎えた年に富士山を描いた作品です。

雲間からその山頂が顔を出した清々しい富士の姿を描いています。

画壇の最高位に君臨し、米寿を迎えた大観は、祝賀会や回顧展などに引っ張りだこで多忙な中でも絵を描き続けました。

横山大観の作品を所蔵している美術館

海外

  • ボストン美術館(アメリカ):「樹間の月」

日本国内

  • 横山大観記念館:「漁夫」「鞴祭」「月見布袋」「阿やめ(水鏡)」「牡丹」「紅梅」「月下逍遥」「ローマの春」「四時山水」「霊峰飛鶴」など
  • 東京富士美術館:「春秋」「漁翁」「旭日」「白雲春恋」「神嶽不二山」「夜桜(雪月花・花)」など
  • 山種美術館:「燕山の巻」「楚水の巻」「陶淵明」「作右衛門の家」「喜撰山」「木兎」「富士山」「霊峰不二」「春の水・秋の色」など
  • 東京国立博物館:「五柳先生」「瀟湘八景」「雲中富士」「遊刄紆余地」「竹雨」「東海道五十三次合作絵巻」「洞庭の夜」など
  • 茨城県近代美術館:「瀟湘八景」「朝顔日記」「寒天」「春の朝・秋の夕 秋の夕」「月下美人」など
  • 熊本県立美術館:「焚火」「雲去来」「老子」など
  • 福岡市美術館:「寒山拾得」「朧月」「木菟」など
  • 東京国立近代美術館:「雨後・月夜」「生々流転」「鍾馗」「春風万里乃濤」「満ち来る朝潮」「南溟の夜」「或る日の太平洋」など
  • 大倉集古館:「夜桜」「寒牡丹」「文鳥」「野菊」「茶花」
  • 足立美術館:「紅葉」「漁夫」
  • 宮内庁三の丸尚蔵館「龍蛟躍四溟」「景雲餘彩」「瑞彩 霊峰」「御苑春雨」「朝陽霊峰」「秩父霊峰春暁」「桑名第一峰」「耀く大八洲」など

横山大観記念館

引用:上野が、すき。「【横山大観記念館】日本画の巨匠が暮らした邸宅が美術館に」https://uenogasuki.tokyo/2020/11/post-894.html

東京都台東区にある横山大観記念館は、横山大観が晩年に暮らした家の客間、居間、アトリエなどをそのまま展示スペースとして一般公開している記念館です。

大観は1908年(明治41年)からこの地に住んでおり、1919年(大正8年)に建築した家は1945年(昭和20年)の空襲で焼失してしまいましたが、その土台を生かして1954年(昭和29年)に新居が再建され、その後最期の時までここで多くの作品を制作しました。

京風数寄屋造りの建物と庭園は、現在では横山大観旧宅及び庭園として国の史跡に指定されているようです。

大観がデザインした庭園も美しく、和風建築の雰囲気を活かして日本画本来の楽しみ方を体験できる、現代では貴重な空間となっています。

横山大観記念館には、大観の作品、習作など215件だけでなく、大観と交流のあった作家たちの絵画、書、彫刻作品、そして大観旧蔵の陶磁器、古画、画材などおよそ1200件が所蔵されているようです。

まとめ

富士山をはじめとする日本の美しい自然を題材とした日本画は、数多くありますが、横山大観ほど様々な技法、画風を駆使してきた日本画の作家は珍しいでしょう。

しなやかで美しい水墨画や、鮮やかな色合いのコントラストが美しい大屏風など様々なスタイルを研究し、さらには海外の画風も取り入れた大観は日本画の近代化に大きく貢献しました。

大観も暮らしていた伝統的な日本の家屋・庭園で作品を見ることができる横山大観記念館は東京にあるので、ぜひ行ってみてください。

参考

公益財団法人 横山大観記念館 – YokoyamaTaikan Memorial Hall https://taikan.tokyo/

warakuweb「富士山絵の天才・横山大観の代表的な富士山絵13点を解説」https://intojapanwaraku.com/art/1443/

気になるアート「横山大観 絵画作品と所蔵美術館」http://kininaruart.com/artist/nihonga/taikan.html

Artsy「Yokoyama Taikan」https://www.artsy.net/artist/yokoyama-taikan/auction-results

ABOUT ME
あやね
2018年にアメリカ NYへ移住した、京都生まれの大阪人。日本の伝統工芸が持つ独特で繊細な美しさが好きで、着物や器を集めている。郊外の家に引っ越したことをきっかけに、アート作品やアンティーク家具を取り入れたインテリアコーディネートにも興味を持ち始める。アメリカで日常生活に様々な形でアートを取り入れる人々に出会い触発され、2021年より趣味で陶芸をはじめる。