経歴
ピート・モンドリアン(オランダ、1872-1944)は、抽象画家の先駆者で、代表作は「コンポジション」。絵画、彫刻、建築、グラフィックデザインなどの現代美術に多くの影響を与えました。
1872年オランダに生まれたピート・モンドリアン(以下、モンドリアン)は、幼少より絵画に興味を持ち、アムステルダム国立美術アカデミーで絵画を勉強しました。この頃の作品は、自然主義的な風景や静物などを印象派が用いる手法を用いて描いていました。
1912年にパリに移り、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックの作品を見て、キュビスムを学び、事物の平面的・幾何学的な作品を作り始めました。
モンドリアンはパリに拠点を置いていましたが、父の病気の知らせを聞きオランダを訪れていた際に、第一次世界大戦が始まってしまいパリに戻ることができませんでした。
オランダでも芸術活動を継続し、抽象画の作品を作り続け、パリに戻った後の1921年にモンドリアンの代表作「コンポジション」が確立されました。
そこから、「ロゼンジ」と呼ばれる正方形のキャンバスを45度傾けてダイヤモンドの形にした作品や、色のブロックを小さくしたり、2重線を使った作品を使ったり、様々な「コンポジション」のスタイルに挑戦しました。
1938年9月第二次世界大戦が激化した頃、モンドリアンはパリからロンドンへと旅立ちました。そしてドイツがオランダとフランスへ侵攻した後に、大西洋を渡ってニューヨークに移り住みました。
1942年に初の個展を開催した後、1944年に肺炎のため死去し、ブルックリンに埋葬されました。モンドリアンの追悼式には、マルク・シャガール、マルセル・デュシャン、フェルナン・レジェ、アレクサンダー・カルダーなどの著名な芸術家を含む200人近くが出席しました。
ピエト・モンドリアンの作品
コンポジション
モンドリアンの考え方では、「今までは物や形を色々な表現で描いていたけど、物を描く考え方をやめよう。抽象的な形こそが美しいのだ!」という新造形主義の考えからコンポジションという作品の完成に至りました。
コンポジションの作品の基本となる考え方は「モデュール(基本単子)」でありその組み合わせを描いている。近くで見ると白い部分もきちんと塗られていおり美しさが際立ちます。
黒い線で仕切りがあり、黒・赤・黄・青で塗られているのがコンポジションであると思われていますが、異なる形のコンポジションもありますので紹介していきます。
こちらは窓から見た風景をコンポジションにして描いています。よくみると「K、U、B」のアルファベットが見えます。
「チェッカー盤」のコンポジションのうちのひとつです。この頃は暗い色で描かれているコンポジションも多くありました。
色の三原色を意識したコンポジションです。
キュビズムの作品
女性の姿形がキュビズムとして描かれています。モンドリアンがキュビズムの研究する初期の作品です。
木を用いた作品
モンドリアンはパリに移り住んだのち、キュビズムに傾倒し当初は風景や人物など過去に取り組んだモチーフをキュビズム化していました。しかし、1912年後半から木々を題材にするようになります。多くの場合は一本の木が画面全体に広がり、額外へ拡張していくように描かれています。
また、モンドリアンにとって木のモチーフはコンポジションを確立する上で大切なモチーフだったと言われています。赤い木→灰色の木→花咲くりんごの木の変遷で、より具像から抽象になっていく様子を知ることができます。
赤い木
赤と青が印象的な作品ですがこの頃はに近いですね。
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灰色の木
葉っぱや土などが抽象化が省略されてきました。派手な彩色は使わず原色に近い色彩構成が見られます。
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花咲くリンゴの木
この後の作品からモンドリアンの木のモチーフは曲線で描かれることがなくなり垂直と水平だけで表現されています。ここまで来るとこのモチーフが「木」であることがわからないですよね。
ブロードウェイ・ブギウギ
モンドリアンは、ニューヨークの街や音楽からインスピレーションを受けた「ブロードウェイ・ブギウギ」を1943年に発表します。過去のモンドリアンの作品と比べるととても陽気で明るいイメージです。
世界のデザインへの影響
モンドリアンワンピース
モンドリアンは世界の芸術に大きな影響を与えました。
1965年、イヴ・サンローランは秋のコレクションで、ドレスにモンドリアン流の太い黒のラインとカラーブロックを使用しました。このドレスは大人気となり、モンドリアンスタイルのモダンデザインは大流行しました。
モンドリアンホテル
1985年、ロサンゼルスにオープンしたホテル「ル・モンドリアン」は、建物の片側にピエト・モンドリアンの作品をモチーフにした外壁を作りました。
モンドリアン風家具(カッシーナ)
モンドリアン展で展示されていたカッシーナの家具。オランダのヘーリット・トーマス・リートフェルトの作品を製品化したものです。
向かって右のカラフルな椅子は
1918年にデザインした「レッド&ブルー」です。レッド&ブルーは17点の木のパーツでできており、最初は色がありませんでしたがその後にパーツごとの塗り分けが試みられ、1923年頃にモンドリアンをイメージした色が入れられました。
リートフェルトのもうひとつの代表作である向かって右の「ジグザグチェア」は1934年発表されました。モンドリアンが提唱した新造形主義を取り入れた本質的そしてデザインを感じさせる椅子ですね。
まとめ
モンドリアン生誕150年を記念して現在、東京SOMPO美術館、豊田市美術館で展覧会行われました。
私は、ミニマリストや抽象表現主義は全てモンドリアンから始まったと思っています。初めは印象派だったモンドリアンが色々な土地で、アーティストに出会い、自分で作風を変え辿り着いたのが「コンポジション」なんですね。
新しい場所に行き新しい発見をして、そしてその発見を自分の中に落とし込んでいくことを彼の人生から学ぶことができました。
参考
豊田市美術館「生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて」
Art x Together「【ピート・モンドリアン 】 Piet mondrian美術史の大転換点【抽象絵画】への扉を開いた芸術家。」https://www.hidekiiinuma.com/db/piet-mondrian/
美術手帖「モンドリアンの「コンポジション」がクリスティーズに出品。推定価格は27億円」