経歴
李禹煥(以下、李)は1936年、日本の植民地時代の韓国の農村に生まれました。幼少期は厳しい儒教の教えを受けます。特に中国の古典芸術の筆法の基本である、点と線を描く訓練は、後に李の芸術活動に大きな影響を与えます。
1956年にソウル大学美術大学に入学し、1958年には東京の日本大学理学部哲学科に編集して、卒業しました。
李は1960年代後半、戦後の日本芸術運動「もの派」の理論家、実践者として注目を浴びるようになりました。
もの派とは
「もの派」は1968年頃~70年代中期までにわたって存在したアーティスト10数名の表現傾向に与えられた名称。(中略)共通して認められるのは、自然物、人工物への人為的な関与の少ない即時的、即物的な使用だが、それ以外は個人によって思考やテーマにも比較的大きな隔たりがある。戦後日本の現代美術として、具体美術協会とともに海外からの評価が高い。
美術手帖「もの派」https://bijutsutecho.com/artwiki/101
1970年代初頭からは「線より」「点より」のシリーズを発表し現在の代表作となっています。李は東京のギャラリーや美術館で注目を集め、西ドイツやフランスでも展示を行うようになりました。中でも1971年に開催されたパリ青年ビエンナーレは、もの派をヨーロッパに紹介するきっかけとなり、同年パリにスタジオを構えました。
李は1972年に「点から線へ」シリーズを展開し、モノクロームのパレットを使い、水平または垂直に反復するブラシストロークで、生きている時間の経過を表現しました。日本だけでなくアメリカ、ヨーロッパ、韓国で高い評価を得ました。
また、芸術的な活動と同時に、評論活動も行っており美術誌への執筆や、自身で本を出版しています。2000年にはユネスコ賞を、2001年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。1990年代にはパリ国立高等美術学校の客員教授を務め、1973年から2007年まで多摩美術大学美術学部教授を務めるなど教育者としても活躍しています。
2010年には、安藤忠雄氏の設計による「李禹煥美術館」が直島のベネッセアートサイトにオープンしました。
まとめ
李禹煥さんの言葉で印象に残っているものがあります。
「自分の生き方は全て予定が狂うというか、そういう運命に生きてきたと思います。」というもので、彼は初めは音楽家になりたいと思っていて、高校の頃は文学者になりたくて、美術は全然やりたいとは思わなかったけれど、行き着いた先が芸術家だったそうです。
芸術家になり、日本では作品の批判が続き、ヨーロッパで活動をしていたら道が開け2014年にはヴェルサイユ宮殿での半年間の現代アーティストの特別展示に選出されました。
李禹煥さんの作品には良い意味で流れに乗る心地よさが伝わってきます。2020年から新型コロナウイルスで思うように動けなかった自分の人生を見つめ直し、紆余曲折かもしれないけれど今の人生の波に心地よく乗っていこうかな?そうしたら私は私の道が開けるかな?と考えさせられました。
参考
tagboad「李禹煥」https://ec.tagboat.com/eccube_jp/html/products/list.php?author_id=849&tngs_flg=0
獏「李禹煥( リー・ウーファン)の絵画・油絵・版画の買取価格とポイント」https://www.baku-art.co.jp/print-world/leeufan.html