荒木経惟の経歴
「アラーキー」の通称で知られる、荒木経惟(あらきのぶよし:以下、荒木)は、妻やモデルのヌードなどの過激な写真を始めとして様々な被写体を撮影し、世界から評価されてきた写真家です。
1940年に東京で生まれ、高校を卒業後は千葉大学工学部写真印刷工学科に進みます。下駄屋を営んでいた父は、アマチュア写真家でもあったそうです。
1963年に大学を卒業した後は、電通に宣伝用カメラマンとして就職しました。
1964年には、雑誌「太陽」が主催する太陽賞に、1962年ごろの大学在学中に撮影した作品「さっちん」で応募し、第1回太陽賞を受賞します。
1971年には、電通の同僚であった青木陽子と結婚。妻・陽子は、荒木の作品の中でも特に有名な被写体として知られています。
新婚旅行の様子を収めた写真は、写真集「センチメンタルな旅」として出版された他、夫婦生活の中で多くの写真を撮影し続け、いわゆる『私写真(個人的なものを被写体とした写真)』として収めた写真もそれぞれ写真集として出版されています。
妻・陽子が1990年に亡くなるまで、棺に入った姿も含め、日々の写真を撮影し続けた荒木。『私写真』といえどもプライベートすぎる様子も撮影し、作品として発表されてきましたが、写真集の中には陽子のエッセイが含めれるものもあり、荒木にとって良き理解者だったことが想像できます。
陽子が亡くなった後にも、荒木は空や花、愛猫のチロなどを被写体として写真を撮り続けました。その写真たちは美しくも切なく見え、妻を失った寂しさが表現されているように感じます。
また、女性モデルを被写体として緊縛やヌードなどの過激な写真も数多く撮影してきました。現在までに500冊を超える作品集を出版しています。
1986年以降は、スライド写真と音楽を同期して投影するライブパフォーマンス「アラキネマ」も行っています。
2013年に前立腺癌を患った荒木は、後遺症で右目を失明してしまいましたが、現在も写真家として変わらず活動を続けています。
最近では、「#metoo」運動の流れもあり、2018年に荒木のミューズとして約15年間モデルを務めていたKaoRiや、女優・モデルとして有名な水原希子から、セクハラ疑惑を暴露されています。
荒木経惟の代表作品が含まれる写真集
「さっちん」
千葉大学に在学中に撮影した作品を再編集し、第一回太陽賞受賞を受賞した作品「さっちん」の一部写真も含まれている写真集です。
元気よく遊ぶ『さっちん』をはじめとする子供達の、日常的なありのままの姿を、近い距離感で撮影した、臨場感のある作品が印象的です。
太陽賞受賞もあり、荒木が写真家として注目され始めるきっかけとなった作品でした。
「わが愛、陽子」
最愛の妻・陽子との日々の生活の様子を撮影した写真作品集のうちの1つです。
写真作品だけでなく、陽子のエッセイもあわせて掲載されているため、さらに深く作品を味わうことができるでしょう。
『物思いに沈んでいる表情が良い』と言われたことから荒木に惹かれていき、結婚前にはプレゼントにモディリアーニの画集をもらい、プロポーズの記念にはハンス・ベルメールの画集をもらった、というエピソードも紹介されているそうです。
「陽子」荒木経惟写真全集3
荒木経惟全集の第3巻「陽子」は、病気のため、1990年に亡くなってしまった妻・陽子を写した写真作品集の一つです。
陽子の日記エッセイや、岡崎京子の「荒木経惟論」も収録されています。
「チロとアラーキーと2人のおんな」荒木経惟写真全集10
荒木経惟写真全集の第10巻である「チロとアラーキーと2人のおんな」は、荒木の愛猫、チロを主役にして「愛しのチロ」や「センチメンタルな冬の旅」などの写真作品集で発表されている作品を集めたものです。
荒木自身は元々猫が好きではなかったようですが、陽子が実家からもらってきた子猫の可愛らしさの虜になっていく様子を、荒木の私写真の数々から感じ取ることができます。
「センチメンタルな旅」
「センチメンタルな旅」は、1971年に1000部限定、1000円で自費出版として発売されたことから『幻の写真集』と呼ばれた写真作品集です。
荒木とその妻・陽子の結婚式から新婚旅行で行った京都、福岡を撮影した写真で構成されています。
シリーズとして、「続 センチメンタルな旅 沖縄」「10年目の『センチメンタルな旅』」「センチメンタルな旅・冬の旅」でもそれぞれ夫婦での旅の様子を記録した写真を集めた作品集として発表しました。
1991年2月に出版された「センチメンタルな旅・冬の旅」は、前半で「センチメンタルな旅」に掲載されている写真から再編集したものを、後半には「冬の旅」として病死した妻・陽子を失うまでの心の旅を描いている作品で、これには棺に入る陽子の遺体の写真も含まれています。
この写真を巡って、荒木が憧れていた写真家の篠山紀信とは意見が別れ、しばらくのあいだ絶交状態が続いたそうです。
荒木経惟を批判したモデルKaoRiとは?
妻・陽子亡き後の荒木は、空や花などの風景だけでなく様々なモデルを被写体として『江戸時代の春画を彷彿とさせるような』過激な写真も多く発表してきました。
中でも、荒木の『ミューズ』と呼ばれたモデルのKaoRi(湯沢薫)を、2001年から2015年までの約15年という長い期間、荒木は一貫して撮影し続けていました。
2018年4月1日に、KaoRiはブログ投稿サイトのnoteにて、「その知識、本当に正しいですか?」というタイトルのブログ内に、荒木による『性的虐待』を自身の経験として暴露したのです。
内容としては、恋人同士あるいは雇用関係などの関係性ではない、荒木の表現を叶えるための都合の良い『パートナー』であったこと。そして、撮影された写真がどのように使われるかを知らされず、事前の契約書もなかったため、無報酬でパフォーマンスをすることもあったことや、ヌード撮影を矯正されたこと、望まない表現で雑誌などに掲載されたことなども語られています。
アートとしての写真という名目ものとで、「被写体」として女性を支配的にモノのように扱うことへの違和感は、#me tooの運動にも見られるように、今の時代とは逆行していることから感じられるのかもしれません。
荒木経惟の愛用するカメラは?
荒木は、作品のスタイルによって、様々なカメラを使い分けているそうです。
使用しているカメラの中で有名なものには、LEICA(ライカ)のM6、M7やPENTAX(ペンタックス)の 67・645、フィルムカメラであるKonica(コニカ)のBig mini BM-301などがあります。
荒木経惟の現在は?失明した?
現在、荒木は82歳とかなり高齢ではあるものの、現役で活動を続けています。
2013年に、前立腺癌による網膜中心動脈閉塞症のため、右目を失明してしまいましたが、その後に写真展「左眼(さがん)ノ恋」で写真の右側を黒く塗りつぶした作品を発表するなど、新たな表現に挑戦する姿にはまだまだ若さを感じます。
なお、前述したKaoRiによるセクハラ疑惑暴露については、特にコメントを出していないそうです。
まとめ
生あるいは性(エロス)と死(タナトス)、無常観をテーマとした写真を撮り続けてきた荒木経惟。
セクハラ疑惑も上がり、その表現や被写体となるの女性への支配的な扱いが問題視されたりもしていますが、独自のスタイルの写真は多くの人々を魅了してきました。
現在82歳のアラーキーは現役で活躍中で、展覧会などもよく開催されているので、作品が気になる方は、訪れてみてはいかがでしょうか。
参考
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E7%B5%8C%E6%83%9F
This is media「アラーキーのセクハラ疑惑 KaoRi 水原希子らが告白」https://media.thisisgallery.com/artists/nobuyoshiaraki
Artsy https://www.artsy.net/artist/nobuyoshi-araki/auction-results