【鏑木清方】東京・京都で鏑木清方展開催!「築地明石町」などの代表作品や経歴、収蔵美術館など紹介

Kaburagi Kiyokata
アーティスト紹介
鏑木清方

DATA

ニックネーム
最後の浮世絵師/美人画の名手
作者について
鏑木清方は、明治から昭和にかけて活躍した日本画・近代美人画の代表的存在です。 新聞の挿絵や本の口絵から始まり、東京の下町の様子を描いた風俗画なども多く残しています。 2003年に「三遊亭圓朝像」が重要文化財に指定されたり、1954年に文化勲章を受章したりと、その功績は美術界、国から評価されてきました。

現在の値段

36,620円(号単位)

2020年「桃太郎」¥1,100,000(毎日オークション)

鏑木清方の作品で代表的な美人画の中でも、雪や桜などの季節を感じさせるモチーフが描かれている作品は特に人気があるようです。鏑木の作品は多岐に渡り、挿絵などのような簡素な作品も多いため、幅広く数十万円から、数千万円まで、価格帯は広い傾向にあります。
鏑木清方の作品の値段

鏑木清方の経歴

引用:Wikipedia

鏑木清方(かぶらききよかた:以下、鏑木)は、明治から昭和にかけて活躍した美人画でよく知られている日本画家・随筆家です。

上村松園と並ぶ美人画の大家として評価され、『最後の浮世絵師』とも呼ばれています。

鏑木は、1878年8月31日に東京・神田に生まれました。清方は画号であり、本名は健一だそうです。

(画号とは、文筆家・画家・学者などが、本名以外につける作家としての風雅な名前のことを指します。)

明治初期のジャーナリストだった父の影響や、生まれ育った下町の環境もあり、鏑木は幼い頃から噺家や浮世絵師などの文化人と交流する機会があったといいます。

1891年鏑木が13歳の時には、親交のあった噺家(はなしか:『落語家』の古い表現)の三遊亭円朝から浮世絵師・水野年方(みずのとしかた)のもとに入門するよう勧められ、15歳の時には「清方」の画号を授かりました。

鏑木が17歳の頃から、父親が経営していた「やまと新聞」や「東北新聞」「九州日報」などの挿絵画家として十代にしてすでにプロの挿絵画家として活躍し始めます。

鏑木は23歳の時、尾崎紅葉に師事した小説家の泉鏡花(いずみきょうか)の作品「三枚續(さんまいつづき)」の口絵と装幀(そうてい)の依頼を受けたことがきっかけとなり、泉鏡花とも親交を深めました。

(口絵とは単行本や雑誌などの巻頭に入れられた絵のこと、装幀とは本を綴じて表紙などをつける作業のことを指します。)

泉鏡花との関わりの中で文学への関心や造詣も深めていった鏑木は、自身の随筆集も手がけるようになります。

また、仲間の画家である鰭崎英朋(ひれざきえいほう)、池田輝方(いけだてるかた)、池田蕉園(いけだしょうえん)、大野静方(おおのしずかた)、河合英忠(かわいひでただ)、山中古洞(やまなかこうどう)、山村耕花(やまなかこうか)らと共に烏合会(うごうかい)を結成し、展覧会などを開催して本絵の作品などを展示していました。

鏑木が25歳の頃には、当時の文芸界を代表する雑誌であった「文藝倶樂部(ぶんげいくらぶ)」の口絵を担当するなど、挿絵画家としてさらに活躍していましたが、当時挿絵は芸術として評価されておらず、浮世絵師としての地位も高くなかったため、挿絵の仕事を順調にこなしながらも自身の芸術スタイルについて悩んでいたそうです。

1927年、鏑木が49歳の頃に第8回帝国美術院展に出品した代表作「築地明石町」で帝国美術院賞を受賞し、挿絵だけでなく本絵の作品でも有名になります。

1930年に第11回帝国美術院展に出品した、恩人である三遊亭円朝(さんゆうてい えんちょう)を描いた「三遊亭圓朝像」は、2003年に重要文化財に指定されました。

画家として活躍するだけにとどまらず、41歳の頃には帝国美術院展の審査員を担当したり、59歳の時には帝国芸術院会員になったり、68歳の時には第1回日本美術展覧会の審査員を務めたりなど、画壇で若い画家たちを育てることにも貢献しました。

第二次世界大戦で東京の自宅が消失したため、鏑木は終戦後の1946年から神奈川県・鎌倉市雪ノ下に自宅を構え、晩年を過ごしました。

残念ながら関東大震災、第二次世界大戦によって古き良き東京の風景は消え去ってしまいましたが、鏑木は東京の下町風俗画や美人画をその後も描き続け、76歳の時に文化勲章を受章しました。

鏑木の美人画は、近代的な美しさを追求しただけではなく、江戸の文化や浮世絵の研究に裏打ちされたものとして、近代における新しい風俗画の創出に大きな役割を果たしたと言われています。

1972年、93歳で亡くなるまで、鏑木は80年もの間絵を描き続けました。

晩年を過ごした鎌倉・雪ノ下の自宅跡には、鎌倉市鏑木清方記念美術館が建てられ、現在も多くの観客が訪れています。

東京・京都で開催!「没後50年 鏑木清方展」

東京国立近代美術館の1F企画展ギャラリーにて、2022年3月18日(金)から5月8日(日)まで開催中、また京都国立近代美術館にて2022年5月27日(金)から7月10日(日)に開催を予定している「没後50年 鏑木清方展」は、鏑木の代表作である「築地明石町」を始めとする、109件の日本画作品で構成された大規模な回顧展です。

本展示会では、いくつかのテーマに分けて作品が並列的に紹介されており、生涯一貫して庶民の暮らしや文学、芸能を題材にして作品を制作し続けた鏑木の関心や信念が不変であることが感じられます。

没後50年 鏑木清方展
引用:まいにち書房「没後50年 鏑木清方展」https://www.mainichi.store/items/59865029

また会場では、「没後50年 鏑木清方展」公式図録が2,800円(税込み)で購入できます。

図録には、鏑木の作品が年代順に紹介されており、展示会で出品される全作品をオールカラーで見ることができます。

鏑木の作品解説だけでなく、多数の論文やコラムなども収録された決定版の一冊です。

鏑木清方の代表作品

「一葉女史の墓」1902年

鏑木清方「一葉女史の墓」
引用:Twitter

「一葉女史の墓」は、樋口一葉の作品「たけくらべ」の主人公・美登利を描いたとされる作品です。

1896年の「文藝倶樂部」に掲載された樋口一葉の名作「たけくらべ」を読んで感動して以降、鏑木は樋口一葉の作品を愛読するようになったそうです。

1900年に「新小説」で発表された樋口一葉を題材とした泉鏡花の短文「一葉の墓」に触発され、築地本願寺にあった樋口家の墓を訪れた際に、思い浮かんだ「たけくらべ」の主人公・美登利のイメージから着想を得て、『一葉の墓に寄り添う美登利』の様子がこの「一葉女史の墓」だといいます。

「朝涼(あさすず)」1925年

鏑木清方「朝涼」
引用:Pinterest

「朝涼(あさすず)」は、鏑木にとって『制作に迷いを感じていた時に、自身を取り戻した』作品だと言われています。

鏑木は、金沢八景(現在の神奈川県横浜市金沢区)に別荘を構えており、早朝に長女と散歩することが習慣となっていたそうで、その様子からインスピレーションを得て描かれたようです。

描かれている少女の後ろに見える稲田や蓮の花が爽やかで美しく、朝の涼しさを感じることができます。

「築地明石町」1927年

引用:美術展ナビ「鏑木清方の名作「築地明石町」を発見、44年ぶり公開へ」https://artexhibition.jp/topics/news/20190625-AEJ87396/

鏑木の『美人画』の代表作品の1つである「築地明石町」は長きにわたり所在が不明だった『幻の名作』で、現在開催中の「没後50年 鏑木清方展」で44年ぶりに公開されています。

鏑木は49歳の時に本作品を帝国美術院展に出展して審査員からの絶賛を受け、帝国美術院賞を受賞しました。

黒い羽織を着た女性が、朝霧に包まれる旧外国人居留地の明石町(現在の」東京都中央区明石町)に日本画において伝統的な『見返り美人図』のポーズでたたずんでいる様子が描かれています。

「朝夕安居(ちょうせきあんきょ)」1948年

鏑木清方「朝夕安居」
引用:鎌倉市鏑木清方記念美術館「朝夕安居」http://www.kamakura-arts.or.jp/kaburaki/collection/chosekiankyo.html

鏑木が1948年、第二次世界大戦後に制作した作品「朝夕安居(ちょうせきあんきょ)」は、明治20年ごろの東京の下町の様子が描かれた作品です。

夏の1日をイメージした画巻となっており、築地の朝から、風鈴売りが涼んでいる昼間、八丁堀界隈の夕暮れが描かれています。

東京の下町の人々の話し声や生活音が聞こえてきそうな作品です。

鏑木清方の作品が鑑賞できる美術館

鎌倉市鏑木清方記念美術館

鎌倉市鏑木清方記念美術館の外観
引用:Feel Shonan「鎌倉市鏑木清方記念美術館」https://www.feelshonan.jp/sightseeing/2884

鎌倉市鏑木清方記念美術館は、鏑木が93歳で亡くなるまで晩年を過ごした鎌倉雪ノ下の自宅跡に建てられました。

鏑木の遺族から、鎌倉市に美術作品・資料と土地建物が寄贈されたことがきっかけとなり、鏑木の画業と創作に使われた空間を後世に伝えるため、開館したそうです。

鏑木の作品が豊富に揃っており、「朝涼」「一葉女史の墓」「朝夕安居」「にごりえ」「註文帖」などの有名な作品が所蔵されています。

展覧会の開催だけでなく、講演会や日本画の体験プログラムなども開催されているようです。

その他の所蔵美術館

  • 北野美術館:「雛市」
  • 平塚市美術館:「洛外の春」
  • 永青文庫:「花吹雪・落葉時雨」「抱一上人」
  • 駿府美術館:「山姥・金太郎」
  • 東京国立近代美術館:「墨田河舟遊」「築地明石町」「三遊亭円朝像」
  • 横須賀美術館:「江の島 箱根」
  • 名都美術館:「初夏の化粧」「春の光(白梅、桜艸)」「春寒」「西鶴 五人女のお万」
  • 松岡美術館:「蛍」「五月雨」「春の海」「保名」
  • 横浜美術館:「遊女」「春の那ゝ久佐」「暮雲低迷」
  • 秋田県立近代美術館:「松と梅」「秋の夜」
  • 千葉市美術館:「薫風」
  • 弥生美術館・竹久夢二美術館:「絵草紙屋の店」
  • 東京富士美術館:「竜宮の乙姫・三保の天人」「秋の色種」「新富町」「大川端」「四季美人図」
  • 霊友会妙一記念館:「雨月物語」
  • 講談社野間記念館:「五月雨」「夏の旅」
  • 光ミュージアム:「権八小紫」「娘道成寺 14編」「神田祭」
  • 新潟県立近代美術館:「桜姫」
  • 宮内庁三の丸尚蔵館:「瑞彩: 明鏡」
  • 埼玉県立近代美術館:「慶長風俗」

など、鏑木の作品は、鎌倉市鏑木清方記念美術館に限らず日本全国の美術館で鑑賞することができます。

まとめ

鏑木清方は、明治から昭和にかけて約80年間もの間に多くの作品を残した日本画・近代美人画の代表的存在です。

鏑木は美人画や風俗画で一貫して、古き良き東京の下町の様子や当時の近代的な美しい女性を描いてきました。

東京開催中・京都で開催予定の「没後50年 鏑木清方展」は、鏑木がこの世を去ってから半世紀という節目の大規模な展覧会となっているため、鏑木の作品をじっくり楽しみたい方は、ぜひ行ってみてください。

参考

八光堂「美人画の名手鏑木清方。」https://www.hakkoudo.com/weblog/2021/02/24/0206/

ウィキペディア「鏑木清方

鎌倉市鏑木清方美術館 http://www.kamakura-arts.or.jp/kaburaki/

ABOUT ME
あやね
2018年にアメリカ NYへ移住した、京都生まれの大阪人。日本の伝統工芸が持つ独特で繊細な美しさが好きで、着物や器を集めている。郊外の家に引っ越したことをきっかけに、アート作品やアンティーク家具を取り入れたインテリアコーディネートにも興味を持ち始める。アメリカで日常生活に様々な形でアートを取り入れる人々に出会い触発され、2021年より趣味で陶芸をはじめる。