経歴
東山魁夷は1908年神奈川県に生まれ、中学時代より画家を志しました。
東京美術学校 日本画科にて結城素明に師事しました。21歳の頃「山国の秋」が入選。当時の流行を活かした画法を起用しました。
卒業後、ドイツに2年間留学し、ドイツの風景に大きな影響を受けました。
帰国後は、画壇が帝展から文展への再編の時期で東山魁夷の作品は落選を続けました。また、私生活でも結婚がうまくいっておらず、厳しい環境だったそうです。
その後も、太平洋戦争が始まったので徴兵され、終戦直後に母と兄弟を失いました。
苦難にもかかわらず、東山魁夷は再度頭角を表します。
その中でも有名な作品は、「道」です。シンプルな作品でありますが、幻想的な色彩に見惚れてしまいます。

「緑響く」という、森の中に白い馬がいる作品も人気があります。長野県茅野市の御射鹿池がモチーフになっています。
一頭の白い馬が池畔に現れ、画面を右から左へと歩いて消え去った風景が心に浮かんだことが制作のきっかけになりました。

東山は90歳で亡くなるまで絵を描き続けました。健康状態が悪化し、日本中を旅することができなくなった彼は、若い頃に集めた豊富なメモをもとに、想像力を巡らせ風景画を描きました。
まとめ
私の祖父の家には「緑響く」の模写が飾ってありました。幼いながらその絵に癒され、いつの間にか魅了されていました。東山魁夷の描く青色は「東山ブルー」と呼ばれるほど豊かで美しい色合いです。
生前、東山魁夷は「私にとって描くことは、祈りだ」と話していたそうです。静かな風景画の中に力強さを感じるのは、その信念が絵に伝わってきているからでしょうか。
参考
Art Consulting Firm「オークションレポート」
iArt「コラム」
GO NAGANO 「長野県の自然を愛し描き続けた画家、東山魁夷の世界に浸るミュージアム」

"バブル時代には横山大観、東山魁夷などは1億円を超える相場を形成していたが、バブル崩壊後には大幅に下落した。その後、良品を中心に、少しずつではあるが相場を持ち直し現在に至る。"(参考:Art Consulting Firm)