岡本太郎

Tro Okamoto
アーティスト紹介

DATA

ニックネーム
日本のピカソ
作者について
岡本太郎(1911-1996)は、日本の芸術家。その作風は、伝統を重んじる日本の美術界では珍しい前衛的なものとされ、エネルギッシュな作品には、民族学や文化人類学に根ざしたものが多く見られます。

現在の値段

1,000,000円

「花ひらく」1,450万円(毎日オークション)
「駄々っ子」椅子:100万円(デザインタッチオークション)
「ミュンヘンオリンピック公式記念硬貨」9万円(ヤフーオークション)

リトグラフであれば15万円から35万円ほどの価格です。油絵ですと数百万円~数千万円もの価格が期待できます。絵画以外でも需要がある作品が多いです。

経歴

岡本太郎(以下、岡本)は1911年2月26日に神奈川県で生まれました。学生時代は「問題児」扱いされており小学校1年生を2回経験するなど、当時から自我が強く妥協できない性格だったそうです。幼少の頃から絵を描くのが好きで盛んに描いていましたが、中学に入ってから「なんのために描くのか」と疑問を持つようになりました。

慶應義塾普通部を卒業し1929年に東京美術学校油画科に入学しましたが、父の仕事でのヨーロッパ旅行に同行し、その後10年間パリに滞在しました。

パブロ・ピカソの作品に触発されて、岡本は抽象芸術を追求するようになり、1938年、岡本はソルボンヌ大学でマルセル・モースの指導を受け、中学の頃に抱いていた「何のために描くのか」と言う答えを見つけるためオセアニアを中心とした民族学を学び始めました。民族学への関心は、岡本の芸術活動にも影響を与え、多くの著作物にもつながっています。パリでは、ジョルジュ・バタイユや、シュルレアリスムの創始者であるブルトン、セリグマンらと交流しました。

第2時世界大戦のドイツ軍のフランス侵攻に伴い、岡本は1940年に帰国。帰国後岡本は中国へ出兵しました。戦後は三越の個展やパリのコンクールに出展するなど意欲的に活動を再開しました。

1941年、後に岡本が参加する反主流派の芸術家集団「二科会」が開催した第28回二科展に、ヨーロッパ滞在中に制作した作品が多数出品され、二科賞を受賞しました。

その後「夜明け」、「重工業」、「ジャングルの法則」などの作品を生み出した。翌年には評論家の花田清輝と「夜の会」を設立し、前衛的な芸術と文学の融合を図りました。

1950年代から60年代にかけて、岡本は日本の地下鉄の駅や政府機関でのインスタレーションなど、公共的なプロジェクトを中心に活動しました。また、メキシコのホテルの依頼で壁画「明日の神話」を作り、原爆に襲われる人間の姿を描いて政治的や戦争に関するものを描きました。ホテルの経営が傾き、絵画は行方不明になっておりましたが、太郎のパートナーが必死で探し現在は渋谷駅に飾られています。

渋谷駅 「INSPI」https://www.ebook5.net/blog/asunoshinwa_shibuya/

1961年、岡本は二科会をはじめ、それまで付き合いのあった美術界から身を引きます。

1970年に代表作「太陽の塔」を制作し大阪万博に設置されました。太陽の塔は人類の過去・現在・未来を圧倒的なスケールで表現した作品です。

万博公園オフィシャル https://taiyounotou-expo70.jp/about/

1981年のビデオのCMで岡本はピアノを即興で弾きながら「芸術は爆発だ!」と叫びお茶の間で広く知れ渡るようになりました。

1993年には川崎市の名誉市民に選ばれ、同年、川崎市市民ミュージアムで大規模な回顧展が開催されました。

岡本は1996年1月7日に東京で死去し、その後東京 青山のアトリエが岡本太郎記念館、川崎市に岡本太郎美術館が開館しました。

まとめ

岡本太郎さんが執筆した「自分の中に毒を持て」という本を6年ほど前に友人から紹介してもらいました。内容は、他人の評価でなく本当の自分を一瞬一瞬大切にして生きているのか?と問いかけるような内容です。

上記の通り岡本太郎は戦前にパリに行き、自分の腕一本で芸術家として大成しました。本当に自分が欲することを考えその通りに生きるのはとても難しいです。

岡本太郎の素直で愚直で大胆な作品からは、本と同じメッセージが感じます。実際に私はこの本を読んだ後、渡米を決めました。今思うと強烈な後押しだったなあと振り返ります。何か人生を変えたい!と思う方は岡本太郎の生き方やアートに触れてみてはいかがでしょうか?

参考

ヒカカク「【専門家監修】岡本太郎 絵画作品の価値・買取相場・査定ポイントまとめ」

https://hikakaku.com/blog/all-category/painting-works-of-art/3989/
ABOUT ME
しおり岡
しおり岡
編集長/ライター。小学生の頃はエジプト文化、中学生では西洋美術、高校生は日本の歴史にハマり、大学在学中に仏像に恋をして、学芸員を取得。卒業後、大手人材会社で営業を経験。その後、飲食店の広報・デザイナーを経て、アメリカ・NYにて転職。コロナウイルスのため帰国し、現在は日本に滞在中。趣味は「美術館や遺跡を経験するための海外旅行」。今まで40カ国以上を旅行をし、世界の建築や文化、食事、アートに触れる。