【加山又造】春秋波濤や猫、墨龍などの代表作品と経歴

Kayama Matazô
アーティスト紹介
猫 加山又造

DATA

ニックネーム
現代の琳派
作者について
加山又造は戦後の新しい日本画の時代を率いた画家の一人です。大和絵や琳派などの伝統的な日本画の技法や、西洋画から学び、独自の感性で取り入れたスタイルを生み出し、多くの名作を残しています。金箔や銀箔などが用いられた装飾性の高い作品やエアブラシを用いた水墨画など、さまざまな作風で制作しました。

現在の値段

約7,528,845円(直近36ヶ月の平均落札価格)

2019年「Valley in Snow」¥14,000,000(毎日オークション)
2020年「Cold wind」¥4,000,000(毎日オークション)

加山又造の作品は、毎日オークションを中心とする日本のオークションで取引されています。十万円台から数百万円台などその落札価格はさまざまなようです。
加山又造のオークション落札価格

加山又造の経歴

加山又造

加山又造(かやままたぞう:以下、加山)は、1927年に父が西陣織の図案師、祖父が円山・四条派の日本画家という京都府京都市の家系に生まれます。

幼少期に身体が弱かったことから、父の工房で過ごし、絵を描くようになったといいます。

1940年に京都市立美術工芸学校絵画科、1944年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本画科に進学し、1945年には学徒勤労令によって移住した山口県で第二次世界大戦終戦を迎えました。終戦後は、父親の病死により、働きながら絵を学び続けました。

また加山は、東京美術学校卒業後、山本丘人に師事し、山本が上村松篁(うえむらしょうこう)、秋野不矩(あきのふく)ら13名の画家たちと1948年に結成した創造美術(後の創画会)に所属して、戦後の日本画の革新を担う画家の一人として活躍しました。

終戦後のこの時代には、新たな価値観が海外から流入したことによって伝統的な文化が否定されていたり、戦争中にプロパガンダ的な目的で利用された日本画は厳しく批判されたりと、画家たちにとっての立場が難しい時代だったようです。そんな中で結成された創造美術は、新しい日本画のあり方やスタイルを模索するための場でした。

このような背景から、加山は西洋美術から大きなヒントを得て、自らの創作スタイルに取り入れるようになっていきます。

1960年ごろには、大規模な作品を制作したり、琳派や大和絵などの影響を受けた作品を発表するようになり、1966年に多摩美術大学教授に就任します。

1970年頃から裸婦像も多く制作するようになりました。加山の裸婦像は、繊細な線描や透明感があり、印象的です。1973年には、日本芸術大賞(新潮文芸振興会が主催)を受賞します。

1988年には東京芸術大学教授に就任し、日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現して『現代の琳派』と呼ばれた加山は、東京芸術大学名誉教授にもなりました。

1970年代後半からは、水墨画も描くようになります。1984年に制作された身延山久遠寺大本堂天井画「墨龍」はその集大成といえるでしょう。

加山の創作意欲や探求心は晩年まで衰えることなく、コンピューター・グラフィックスを用いた絵にも挑戦したといいます。1997年に文化功労者に選出され、2003年には文化勲章を受章しました。

2004年に東京都の病院で肺炎のため亡くなりました。2009年には、国立新美術館で大規模な回顧展「加山又造展」が開催されるなど、現在でも日本を代表する画家として広く知られています。

加山又造の代表作品

「春秋波濤(しゅんじゅうはとう)」1966年

加山の代表作として最も知られている作品が、「春秋波濤(しゅんじゅうはとう)」です。

春の桜と秋の楓、銀杏が波濤(大きな波)や満月と共に描かれています。

荒々しい波には、『波瀾万丈』さが表現されており、その中で美しく目を惹く桜や紅葉は、厳しい状況下で継続的な努力をして、一仕事を成し遂げた誇らしい姿のように見えます。

日本の風景の中で誰もが目にしたことのある美しいシーンを題材に、強いメッセージを表現した作品です。

「華扇屏風」1966年

山種美術館にて収蔵されている「華扇屏風」は、季節の花々が描かれた華やかな扇と、繊細で鮮やかな金箔、銀箔の装飾が印象的です。

琳派や大和絵などの日本美術の技法を研究した加山の作品には、伝統的な日本画の雰囲気や技法が新しい形で取り入れられているのがわかります。

「千羽鶴」1970年

ある冬に鹿児島県の出水(いずみ)にて数千羽の鶴が飛び立つ光景を目にしたことがきっかけとなり、千羽鶴をテーマにして描かれた作品です。

鶴の群れが右肩上がりで、旋回しながら飛んでいく様子は、さまざまな困難に立ち向かい、乗り越え、発展していく姿として縁起の良い絵柄とされています。壮大で臨場感のある作品です。

俵屋宗達の「鶴下絵和歌巻」の影響を受けていると言われています。

「墨龍」1984年

「墨龍」は、山梨県にある久遠寺大本堂外陣の天井画として1984年に描かれました。

この作品の題材となっている龍は、仏法を守り、雨を降らせて樹木を潤すよう導く善神として古来より崇められてきました。

11メートル四方の大規模な本作品は、23,500枚の金箔に墨で描かれており、加山のそれまでの経歴の中で得た技と斬新な手法、情熱が込められています。

龍の目は、本堂内にいる人々を満遍なく見据えているように見え、これは『八方睨み』と言われています。

「横たわる裸婦」1984年

上記で紹介した以外にも、加山は1970年ごろから裸婦像も多く制作しました。

1984年に描かれた本作品は、黒衣装を肩から羽織り、横たわる裸婦が題材となっています。

髪や衣服などの繊細な線描による描写や、絶妙な陰影がかかった透明感のある肌が印象的な作品です。

「猫」1990年

加山の作品の中では、1990年代ごろから制作された版画作品である「猫」シリーズも人気があるようです。

1990年に描かれた本作品は、ふわふわした毛並みをもつ猫が、何かにびっくりして振り返っているかのような様子が描かれています。青い瞳が目を惹きます。

また、加山は愛猫家としても知られているそうです。

まとめ

新しい日本画のあり方やスタイルを模索していた時代に活躍した加山又造の作品は、伝統的な日本画の技法を取り入れながら、西洋美術も参考にした独自のスタイルで、現在でも多くのファンがいます。

参考

Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E5%B1%B1%E5%8F%88%E9%80%A0

ABOUT ME
あやね
2018年にアメリカ NYへ移住した、京都生まれの大阪人。日本の伝統工芸が持つ独特で繊細な美しさが好きで、着物や器を集めている。郊外の家に引っ越したことをきっかけに、アート作品やアンティーク家具を取り入れたインテリアコーディネートにも興味を持ち始める。アメリカで日常生活に様々な形でアートを取り入れる人々に出会い触発され、2021年より趣味で陶芸をはじめる。