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【山田かまち】は氷室京介とバンドを組んでいた?本当の死因は感電死?殺人の可能性も…17歳の若さで亡くなったアーティストの代表作や絵が展示される美術館を紹介

みなさん、山田かまち(以下、かまち)というアーティストをご存じですか?

17歳という若さでこの世を去ったアーティストです。若いながらも様々な方を魅了し多くの人の胸に刺さる作品を数多く輩出してきました。

今日は山田かまちの短すぎる人生とかまちの本当の死因や映画、絵、かまちの作品が展示されている美術館についてご紹介していきます。

山田かまちとは

引用:https://grapee.jp/650607

崎市に生まれ育ち、幼少期より画家の才能が開花していたようです。

冬休みの課題では動物の絵を描いたようですが、53枚を1時間余りで書き上げてしまったようです。

小学4、5年生の頃から切手収集や音楽に熱中し「ぼくには24時間では足りないよ」が口癖だったと言われています。

中学校に入学してからは、学校の友達だけに留まらず、国内外の文通仲間との交流の中で音楽のことやさまざまなことを語り合っていたようです。

引用:https://www.housecom.jp/faq/category_town/419/

かまちは様々なことに興味を持っていましたが、ビートルズやクイーン、エアロスミスなどの海外のロックミュージックには特に興味があったようです。

かまちにとっては魂そのもののように感じており、作品のなかでもロックミュージックについて絵や詩を書き綴っていたものが残されています。

1977年8月、かまちはエレキギターの練習中に感電する事故にあい、突然死してしまうのです。

その後にかまちの部屋に残された大量の作品は思春期の少年の揺れ動く想いとパワフルな作品として数多くの人々に衝撃を与えました。

かまちがこの世を去ってから4年の月日が流れ、群馬県前橋市で開催された遺作展には多くの人が集まり、話題となりました。

この遺作展を機にかまちの絵画や詩は世に知られ始め、1990年代初期には全国的なブームを呼んで、美術や現代国語、社会の教科書などにも掲載されるようになりました。

2000年には生誕40周年を記念した巡回展が全国各地で開催され、「かまち現象」とも呼ばれました。

元BOØWYの氷室京介とバンドを組んでいた!?

バンドマンで知られるかまちですが、実は元BOØWYの氷室京介と一緒にバンドを組んでいたようです。

現在も生きていれば氷室京介と共にミュージシャンとして活躍していたかもしれませんね。

かまちの彼女?佐藤真弓(以下、真弓)との関係とは…

結論からいうと真弓は当時の彼女だったみたいです。

以下で説明する高崎市山田かまち美術館では真弓への熱烈な思いを綴ったラブレターも展示されているようです。

顔も整っていて頭も良くて音楽もできれば女の子からはきっと人気があったでしょう。

その中の1つの詩が下のものになります。

「しかし、ぼくは勝利や成功だけを考えて機械のように生きている人間とは違う。そんなふうにはなれない。なぜなら考えていけばいくほど、人間のすばらしさはそのこと以外の方にあることがわかってくる。」

なんと。。当時中学生にしてすべてを見透かしているような内容。。。現在生きていたら仙人にでもなれる精神性ですね。

「ドローイングンマ プロジェクト」とは

そして2019年にはかまちの「激しく美しく生きろ」という言葉に触発された人々が自分自画像を通して自分と向き合い、自分らしく生きることとは何かを考える「ドローイングンマ プロジェクト」が発足しされました。

このプロジェクトでは群馬に縁がある起業家や有名人たちが自分の自画像を描き、若者へのメッセージが綴られています。

ドローイングンマ プロジェクト公式HP:https://www.jomo-news.co.jp/jm/drawingunma/

引用:https://www.youtube.com/watch?v=skOC2OygyrY

かまちの本当の死因は?殺人の可能性も…

1960年₋1977年の17年間という短い生涯で幕を閉じてしまったアーティストです。

様々な記事を見ても死因は「エレキギターの感電死」とされていますが、まだまだ不可解な部分が多い事件とされています。

一説では自殺という説もありますが、親族の意向によりその真実は語られていません。

エレキギターを普通に使っているだけでは死に至るようなことはありませんが、エレキギターのアンプ部分を自作していたという説もありました。

このエレキギターはかまちが17歳の誕生日の時にもらったものとのことでした。

かまちの作品公開

ここでは少しかまちの作品たちを紹介していこうと思います。

「ぞう」

引用:https://ameblo.jp/fallingwater-kiyo/entry-10218778861.html

上の作品は小学校3年の時に書き上げた作品とのことでした。小学校3年生からすでに才能が開花されていました。

「海辺のライオン」

引用:https://ameblo.jp/fallingwater-kiyo/entry-10218778861.html

上の「水辺のライオン」は13歳の時の作品です。

「水牛」

引用:https://renote.jp/articles/1046

こちらも小学3年生の時に書かれた作品です。

本当に「天才」という言葉一言につきます。

2004年公開の映画「かまち」について

題名の通り、かまちを題材として書かれた作品です。

引用:https://filmarks.com/movies/33734

評価は全体的に低めですが、「山田かまち」という人間をしっかり知った状態で見るともしかしたら感じ方が違うかもしれません。

かまちの絵が展示されている美術館

引用:https://www.dan-b.com/mu_kamachi/

「高崎市山田かまち美術館」では上記の動物を描いた52枚の絵が展示されているとのことです。

ここには絵だけはなくかまちが書いた詩や当時使っていた絵具や筆なども展示されています。

一度群馬に行った際は足をは運んでみてもいいかもしれません。

まとめ

今回は、若くして亡くなった天才アーティスト山田かまちについてまとめてみました。

青春時代真っ只中の多感な時期の作品は数多くの人の心を震わせ、今も尚さまざまな人から支持されています。

今も生きていたらどんな大人となっていたのでしょうか。

現在もかまちの作品にお目にかかれる場所もあります。今回の記事を見てすこしでも興味を持った方はぜひ「高崎市山田かまち美術館」にいってみるのもいいかもしれませんね。

ABOUT ME
おちか
アートとお金と食べることが大好き。コレクターの叔父の影響で幼い頃からアートに囲まれた環境で育つ。 社会人になってからは医療・福祉系の仕事をしていたこともあり、アールブリュットの世界に魅了される。