【ニキ・ド・サンファル】ナナなど箱根や直島で鑑賞できる作品やタロットガーデン、射撃絵画について

Niki de Saint Phalle
アーティスト紹介
ニキドサンファル

DATA

ニックネーム
様々な女性像をアートで表現したフェミニスト
作者について
ニキ・ド・サンファルは、様々な女性の姿を表現した作品「ナナ」「花嫁」シリーズなどで世界的に知られているアーティストです。イタリアにある彫刻庭園「タロットガーデン」などのような大規模な作品でも知られています。日本にもファンが多く、直島や東京などでニキの作品を鑑賞することができます。

現在の値段

約9,380,067円(直近36ヶ月の平均落札価格)

2020年「Winged Owl Chair」US$155,993(Bonhams)132.0 x 176.0 x 84.0 cm
2021年「NANA FONTAINE TYPE」US$366,371(Artcurial) 150.5 x 137.0 x 84.0 cm
2022年「Dragon」US$111,033(クリスティーズ)50.0 x 65.0 x 23.0 cm

ニキ・ド・サンファルの作品は、彫刻作品を中心に、ペインティング、プリント、テキスタイルアーツなどさまざまなジャンルでアートオークションに出品されており、直近36ヶ月の平均落札価格は約938万円となっています。一方でリトグラフ作品などは10万円ほどで取引されていることもあるようです。

ニキ・ド・サンファルの経歴

ニキ・ド・サンファルNiki de Saint Phalle)は、1930年10月29日にフランス・パリ近郊のヌイイ=シュル=セーヌにて、フランスの古い貴族の血を引く父・アンドレと、アメリカ人のエリート実業家とフランス人女性の娘である母・ジャンヌの間に生まれました。

ニューヨークの裕福な家庭であるサン・ファル家の次女(兄ジョン、妹クレール、エリザベス、弟リチャードの5人姉妹兄弟)としての出生でした。

しかし、1929年のウォール街大暴落の影響により、家族が経営していた銀行「サン・ファル & カンパニー」が倒産したため、フランスに移住することになりました。

程なくして、両親は生活を立て直すためにアメリカに戻りましたが、ニキは兄と共にフランスの田舎に住む父方の祖父母に預けられました。

1937年には、サン・ファル一家はニューヨーク市に戻り、当時ニキは乳母「ナナ」に育てられたと言います。ニキの後の代表作となる作品「ナナ」は彼女に由来しており、フランス語で『女の子』を意味します。

ニキは女子初等教育機関「聖心修道院(Convent of the Sacred Heart)」に通っていました。当時から絵を描いて遊んだり、劇を作ったりするのが好きで、好きな科目はカリグラフィーだったそうです。

ニキが子供の頃から、両親は不仲であり、そのことが影響してニキは学校の規律に反抗するようになり、放校・転校を繰り返したといいます。

また、のちの著書「私の秘密(Mon secret)」では、11歳の時に父親から性的暴行を受けたことを公表しています。この経験から、精神的にダメージを受けたものの、社会からは助けをもらえず、長年孤独感に苦しんだと語っています。

演劇を学んでいた17歳の時に、ダンス・パーティーでモデル・エージェンシーの経営者からスカウトされます。ニキは、「ヴォーグ」誌や「タイム」誌などの雑誌の表紙を飾ったりと、25歳までファッション・モデルとして活躍しました。

18歳の時には、幼なじみのハリー・マシューズと駆け落ちします。ハリーもまた、ニューヨークの保守的な上流階級で育ち、社会に対する反逆心を抱いていたことがニキとの共通点となったといいます。二人は1949年に正式に結婚し、翌年からマサチューセッツ州ケンブリッジに住み始め、のちに娘ローラと息子フィリップを授かります。

ニキとハリーは、1952年に当時のアメリカ社会に見られた人種差別などの社会問題を批判し、芸術活動に専念するためにフランス・パリに移住しましたが、ニキは翌年、統合失調症のためニースの病院に入院しました。この治療の中で、アートセラピーを受け、芸術表現によって自分のありのままを解放できることを実感したといいます。

美術学校などでの正規の美術教育を受けたことがなかったニキは、画家を目指すことに不安を持っていたが、1954年にフィラデルフィア出身の画家ヒュー・ヴァイスに出会い、彼に絵画の技法を学ぶようになります。

1955年には、家族でスペインのマヨルカ島に移住しました。ニキは、スペインでの生活の中で出会ったアントニ・ガウディの作品やバルセロナのグエル公園などから大きなインスピレーションを受けます。

1956年から1958年にかけて、油絵を描き続け、スイスのザンクト・ガレンにて初めての個展も開催しました。

1960年には一家はパリに戻り、スイス出身の彫刻家ジャン・ティンゲリーとその妻で画家のエヴァ・エプリに出会います。パリで触れた多くのアート作品からも影響を受け、ニキは次第に自身の創作の方向性を固めていきます。その年、夫のハリーと合意の上で別居を始め、翌年に正式に離婚しました。

1961年には、ティンゲリーも参加していた大量生産品や既製品、廃品のアサンブラージュを制作し、これらが『モノに溢れた工業化社会に生きる現代人の現実である』と訴える芸術運動「ヌーヴォー・レアリスム」に、参加します。

その後、ニキは「ヌーヴォー・レアリスム」の代表作である「ティール(射撃絵画)」や、「花嫁」シリーズなどを制作し、ティンゲリーの紹介もあり、美術館での展覧会への参加も増えていきました。

ニキは、作品制作を手伝ってくれたり、美術界での人脈によって彼女の成功を助けてくれたり、同じ芸術運動に参加したティンゲリーと、1971年に正式に結婚します。

日本にもニキの作品のファンは多く、1994年には、ニキの作品のコレクターYoko増田静江によって栃木県の那須高原にニキ美術館が設立されました。(2011年8月31日に閉館)

2000年には、高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)を受賞します。

その年、ニキは健康上の理由によりカリフォルニア州サンディエゴ市のラホヤに移り住み、アトリエを構えてそこで制作を続けました。

ニキは71歳の時、2002年5月21日にラホヤで亡くなりました。

残念ながら、ニキが完成させられなかった作品の一つ「カリフィア女王の魔法の輪」は、孫娘のブルーム・カルデナスが、ニキの助手だった芸術家たちとともに完成させました。

ニキ・ド・サンファルの代表作品

「ティール(射撃絵画)」シリーズ 1960年〜

1960年から、ニキはアサンブラージュ(雑多な日用品や工業生産品、廃物などを寄せ集める立体的なコラージュのような手法)の作品を制作し始めました。パリで開催された大規模な展示会「比較 ― 絵画=彫刻」に出展した「聖セバスティアヌス、または私の恋人の肖像」などの作品を制作した流れから生まれたのが、「ティール(射撃絵画)」です。

「ティール(射撃絵画)」は、絵の具を入れた袋を石膏でキャンパスに固定して、ピストルやライフル銃で撃つパフォーマンスによって制作される絵画作品で、ジャスパー・ジョーンズなどを含む他の芸術家とともに制作されました。

この「ティール(射撃絵画)」シリーズが、1961年にピエール・レスタニが企画した個展「思う存分撃つ(Feu à volonté)」に展示されたことにより、アーティストとしてニキが広く知られるようになったといいます。

「花嫁」シリーズ 1963年〜1964年

1963年に制作された「花嫁」は、ウェディングドレスを着てブーケを持った白い女性像に、胎児のような人形やその切断された手足、靴、自動車、飛行機、性器、花、蛇、鳥などをかたどった小さなオブジェが接着されている、2メートルを超える大きな作品です。

この作品を通じて、ニキは『結婚した女性』への社会的な義務の重荷を背負い、絶望の叫びを訴えているかのような女性の姿を表現しており、続いて「馬と花嫁」「樹下の花嫁」などをシリーズとして発表しました。

社会的に一般的な女性に対する期待や男女の不平等、タブーなどへの反抗心を表現した挑戦的な作品として評価されています。

ニキはその後、妊婦、娼婦などさまざまな女性像をモチーフとして制作するようになります。

「磔刑」1963年

ニキが1963年に制作した作品「磔刑」はヌーヴォー・レアリスムの代表作として知られています。

本作品は、腕を切断されて、恍惚とした表情をした女性像で、その詳細を見ると、髪に巻かれたカーラーや小さな玩具類、ガーターベルトなどの『母』『娼婦』『老女』というさまざまな女性の特徴を併せ持っています。高さ2メートル以上という大規模な作品で、女性が置かれるさまざまな状況を表現していると考えられています。

「ナナ」シリーズ 1965年〜

ニキ・ド・サンファルの最も有名な作品シリーズとも言えるのが「ナナ」シリーズでしょう。

「ナナ」は、豊満な女性を表現した像であり、フランス語で『女の子』を意味しています。「ナナ」は『すべての女性』であり、『女性の原型』であり、鮮やかな色使いで、踊っているようなエネルギーを感じる開放的な女性の姿が表現されているのが特徴的です。

「ナナ」の豊満な体は、妊娠していた友人の姿にインスピレーションを受けたのだそうです。

彫刻庭園「タロット・ガーデン」

イタリア、南トスカーナにある彫刻庭園「タロット・ガーデン」は、ニキが制作したタロットカードをモチーフとする造形公園です。

イタリアの貴族で美術品コレクターのマレッラ・アニェッリと再開した際に、ニキが『ガウディのグエル公園のような彫刻と自然の対話となる庭園、夢を見る場所、喜びと想像の庭園を造営する夢』を語ったところ、マレッラ・アニェッリの兄弟カルロ・カラッチョロとニコラ・カラッチョロがトスカーナ、ガラヴィッキオの土地を提供することになったのが始まりだそうです。

ところが、当時は制作にかかる資金が足りなかった上に行政上の問題や技術的な困難にも直面していたため、まずは「ナナ」のミニチュアを制作して販売したり、「タロット・ガーデン」の構想を発表する展覧会を行ったりと、作品制作の資金を調達することからスタートしました。

ニキは、当時肺疾患を抱え、変形性関節症を発症していましたが、そんな中でも夫で彫刻家のティンゲリーや職人、造園家、地元の住民など多くの人々からの協力を得ながら、女帝を表す彫刻の中にの住居スペースに住み、制作に専念しました。「タロット・ガーデン」は、20年以上の月日を費やして完成しました。

ニキドサンファルのグッズ

ニキ・ド・サンファルのグッズが欲しい場合は、こちらのニキ・ド・サンファル のアート・チャリティー・ファンデーションより、ライセンスを持った販売先を確認できます。

2011年8月31日に閉館してしまいましたが、栃木県の那須高原にあったニキ美術館のオンラインストアでは現在もニキのポスターやTシャツ、タロット・ガーデンのグッズであるタロット・カードなどのグッズを購入することができるようです。

日本でニキドサンファルの作品を鑑賞できる場所は?

残念ながら栃木県にあったニキ美術館は閉館してしまいましたが、日本にもニキの作品を鑑賞できる場所がいくつかあります。

直島・ベネッセハウスミュージアム

アートの島として人気の高い、香川県の直島にあるベネッセハウスミュージアムにも、「腰掛」「かえると猫」などニキの作品が展示されています。

直島の緑豊な自然の中で、色鮮やかなニキの作品が映え、遠目に見ても存在感があります。

箱根・彫刻の森美術館

神奈川県箱根の、彫刻の森美術館に展示されるニキの作品「ミス・ブラック・パワー」は、「ナナ」シリーズの一つとして1968年に制作された作品です。

カラフルな模様のドレスを着て堂々と聳え立つナナからは、作品から溢れ出すエネルギーを感じ取ることができます。

東京・ベネッセ多摩本社ビル

東京都多摩市にある株式会社ベネッセコーポレーション東京本部エントランス前広場には、ニキの作品「蛇の樹」「恋する大鳥」が展示されています。

当初は5作品があったそうですが、現在では撤去されてしまい、この2つのみが残っているそうです。

東京・ファーレ立川

東京の立川駅近くには、「ファーレ立川」というさまざまなアート作品を見ることができる場所があります。

ニキの作品「会話」も、このファーレ立川に展示されています。青いベンチにカラフルな蛇が巻き付いているような彫刻作品で、ニキの作品に特徴的な鮮やかな色使いが目をひきます。

背中合わせになって座ることができるこのベンチで、人々はどんな『会話』をするのでしょうか。

まとめ

日本でも各所でニキ・ド・サンファルの作品を鑑賞できることから、人気があることがわかります。ニキの作品といえば、カラフルで陽気な「ナナ」シリーズを思い出す方も多いのではないでしょうか。

個人的には、「ナナ」シリーズだけに限らず、「花嫁」「磔刑」などの作品にも、ニキの生きた時代の社会背景や自身の経験を通して見た『女性』のリアルな姿、『社会で一般的な女性の役割』への反抗心などが大胆に表現されていて、素晴らしいと思いました。

イタリアにあるニキの彫刻庭園、タロット・ガーデンは、私の『人生で一度は行ってみたい場所リスト』に加わりました!

参考

Artsy Niki de Saint Phalle auction results https://www.artsy.net/artist/niki-de-saint-phalle/auction-results?hide_upcoming=false&metric=in

Wikipedia ニキ・ド・サンファル

画像引用元:https://www.ragoarts.com/auctions/2022/09/post-war-contemporary-art/129 https://www.newyorker.com/magazine/2016/04/18/niki-de-saint-phalles-tarot-garden

ABOUT ME
あやね
2018年にアメリカ NYへ移住した、京都生まれの大阪人。日本の伝統工芸が持つ独特で繊細な美しさが好きで、着物や器を集めている。郊外の家に引っ越したことをきっかけに、アート作品やアンティーク家具を取り入れたインテリアコーディネートにも興味を持ち始める。アメリカで日常生活に様々な形でアートを取り入れる人々に出会い触発され、2021年より趣味で陶芸をはじめる。