マルセル・デュシャンの経歴
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)は、フランス出身の芸術家で、現代アートに大きな影響を与えた人物の一人です。デュシャンは絵画や彫刻の伝統的な枠組みにとらわれない作品を発表し、当時の『アートの定義』そのものを問い直しました。特に彼の「レディ・メイド」作品は、後のコンセプチュアル・アートやポストモダン美術に多大な影響を与えています。
デュシャンは、1887年7月28日に、フランス北部ノルマンディー地方のブランヴィル=クレヴォンに生まれました。芸術一家に育った彼は、兄弟たちも画家や彫刻家として活動しており、幼少期から美術に興味があったそうです。15歳の頃には、パリの私立高校に進学し、学校の美術講座で基礎を学びましたが、従来のアカデミックな教育にあまり興味を示さなかったといいます。
1904年、17歳の時にパリに移住したデュシャンは、アカデミー・ジュリアンに短期間通いながら、印象派やポスト印象派の影響を受けた初期の油彩画を制作し始めますが、若い頃の彼の作品はさほど注目されませんでした。その後、キュビスムや未来派など様々な絵画スタイルを模索する時期が続いたようです。
1912年に制作した「階段を降りる裸体No.2」は、デュシャンが画家として注目される転機となりました。この作品はキュビスムに影響を受けながらも、人体の動きを連続的に表現し、未来派的なダイナミズムを融合させたものです。当時は、フランスのサロン展で保守的な審査員から拒絶されたものの、同作品が1913年にニューヨークで開催された近代美術展であるアーモリー・ショーに出品された際にアメリカの美術界から高い評価を受け、一躍注目を集めます。これをきっかけに、デュシャンは絵画だけでなく、伝統的な芸術の枠組みを超えた表現を追求するようになります。
1915年、第一次世界大戦を避けてアメリカに渡ったデュシャンは、ニューヨークでマン・レイ(Man Ray)やフランシス・ピカビア(Francis Picabia)といった前衛芸術家たちと交流し、次第に従来の絵画から離れていきます。ここで彼は、「レディ・メイド」という新しいコンセプトを発表し、既製品をそのまま作品とすることで、それまでのアートの概念に挑戦しました。この頃のデュシャンの活動は、後のコンセプチュアル・アートやダダイスムの基盤となります。
デュシャンは、『芸術は物体そのものではなく、アイデアが本質である』という考えを提唱しました。彼の挑戦的な姿勢は、後世のアーティストに多大な影響を与え、アートが鑑賞者の思考や解釈を促す行為へと進化する道筋を切り開きました。デュシャンの影響を受けたアーティストには、アンディ・ウォーホルやヨーゼフ・ボイス、ジョン・ケージなどがいます。
1940年代以降、デュシャンは美術活動を徐々に縮小し、チェスに没頭するようになります。彼はプロ棋士としても活動し、国際大会に出場するほどの実力を持っていました。
その後芸術家としての活動を公には控えつつも、友人やアーティストとの交流を続け、1968年10月2日に亡くなるまで裏方として現代アートの発展を支援したそうです。
マルセル・デュシャンの代表作品
「泉」1917年
デュシャンの最も有名な代表作「泉(Fountain)」は、市販の男性用小便器をアートとして展示したもので、美術界に大きな衝撃を与えました。デュシャンはこの作品に『R. Mutt』という偽名を署名し、美術展に出品しましたが、これは「アーティストの手によって生み出されたものだけが芸術なのか?」という問いを投げかけるものだったそうです。
この作品は、現代アートの概念を大きく変え、「レディ・メイド(既製品を用いたアート)」という新しい表現形式を確立しました。
「L.H.O.O.Q.」1919年
「L.H.O.O.Q.」は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」に鉛筆で髭を描き足した作品です。作品タイトルは、フランス語で『彼女のお尻は熱い』という卑猥な言葉を連想させるもので、芸術の権威を揶揄する姿勢を表しています。
これは、既存の名作に手を加えることで、アートに対する固定観念を批判し、ダダイスムの象徴的な作品となりました。
「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」1915〜1923年
「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even)」は、デュシャンの代表作の一つで、「大ガラス」とも呼ばれます。
これは、2枚のガラス板を使って抽象的な物語を描いた作品であり、破損も作品の一部とみなされるという点で革新的でした。物理的な素材と物語性を融合したこの作品は、視覚芸術の新たな可能性を示しました。
「ロトリリーフ」1923〜1925年
「ロトリリーフ(Rotoreliefs)」は、デュシャンが手掛けた回転する円盤状の作品です。視覚効果を活用したこの作品は、円盤を回転させることで立体的な錯覚を生み出す実験的な試みとして発表されました。
当時は商業的に失敗したそうですが、後に視覚芸術や動きの要素を取り入れるオプ・アートやキネティック・アートに影響を与えています。
「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」1946〜1966年
デュシャンの晩年の大作である「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ(Étant donnés: 1° La chute d’eau / 2° Le gaz d’éclairage)」は、20年間もの長期間にわたって秘密裏に制作されたインスタレーション作品です。
扉の穴から裸の女性像と背景の滝を覗き見る構造になっており、鑑賞者に覗き見という体験を強制します。デュシャンが亡くなった後にフィラデルフィア美術館で公開された本作品は、現代インスタレーション・アートの先駆けとされています。
レディ・メイドとは
デュシャンが提唱した「レディ・メイド(Ready-made)」とは、日常の既製品に手を加えず、そのまま作品として提示する手法です。このアプローチは、芸術とは何かという根本的な問いを突きつけ、創造とはアイデアであるという新しい価値観を提示しました。
レディ・メイドのアイデアは、オブジェクトの選択そのものが芸術的行為であるとするもので、後のコンセプチュアル・アートに多大な影響を与えました。
ダダイスムとマルセル・デュシャン
ダダイスム(Dadaism)とは、1910年代半ばに第一次世界大戦への反発を背景にスイス・チューリッヒで始まった前衛芸術運動です。従来の芸術や文化的価値を批判し、無意味や偶然を芸術の中核とすることで、社会に新たな視点をもたらしました。ダダの精神は、伝統的な美の基準を拒絶し、既存の権威や制度を茶化す形で表現され、詩、パフォーマンス、ビジュアルアートなど幅広い分野に及びました。
デュシャンはスイスやドイツで活動していたダダの主要メンバーではありませんが、彼のレディ・メイド作品や既存の物への介入は、ダダ運動の精神との共通点が多いと言えるでしょう。デュシャンの代表作品であるの「泉」は、ダダイスムの本質を具現化した作品として知られ、『芸術作品が必ずしも美的価値を持つ必要はない』ということを示し、大きく注目されました。
ニューヨークでの活動を通じて、デュシャンはマン・レイ、フランシス・ピカビアらとともにアメリカにおけるダダ運動の推進者となりました。彼らは既製品や偶然性、ジョークやアイロニーを多用しながら、アートを通して社会の権威を揶揄しました。芸術の権威であるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を風刺したデュシャンの作品「L.H.O.O.Q.」からは、『芸術とは何か?』という問いを投げかけた作品の例であると言えるでしょう。
まとめ
マルセル・デュシャンは、芸術の在り方を根底から変え、『アートとは何か?』という問いを現代に残した偉大な芸術家です。デュシャンのレディ・メイドや実験的な作品は、今もなお美術史の重要なテーマであり、芸術の枠組みを超えた新たな可能性を示し続け、現代のアーティストたちにもインスピレーションを与え続けています。
参考
Artsy https://www.artsy.net/artist/marcel-duchamp/auction-results