【マン・レイ】シュルレアリスムを牽引したアーティストの生涯と「涙のある顔」などの代表作品

Man Ray
アーティスト紹介
man ray tears

DATA

ニックネーム
シュルレアル・フォトグラファー
作者について
マン・レイは、アメリカ生まれで主にパリを拠点に活動したシュルレアリスムとダダイズムを代表するアーティストです。絵画、写真、映画、彫刻など幅広いジャンルで活躍し、特に革新的な写真技法「レイヨグラフ」や「ソラリゼーション」を開発しました。代表作には「アングルのヴァイオリン」や「涙」などがあり、20世紀アートに多大な影響を与えました。その作品は常に独創性と遊び心に満ち、現代アートにも影響を与え続けています。

現在の値段

約13,633,650円(直近36ヶ月の平均落札価格)

2022年「Noire et Blanche」約608,969,700円(Christie's)16.8 x 22.8 cm
2023年「Portrait de Kiki」約24,586,155円(Christie's)61.3 x 45.6 cm
2024年「Maime quand i qua domi i qua ri」約32,867,548円(Christie's)46.0 x 37.8 cm

マン・レイの作品は現在でもかなり頻繁にアートオークションで取引されています。直近の平均落札価格は1千万円を超えていますが、写真作品などは数十万円から取引されているようです。
マン・レイ(Man Ray、本名:エマニュエル・ラドニツキー)
引用:https://gagosian.com/artists/man-ray/

マン・レイ(Man Ray、本名:エマニュエル・ラドニツキー)は、20世紀初頭のシュルレアリスムやダダイズムを代表するアーティストとして知られています。絵画、写真、映画、彫刻など、多岐にわたるジャンルで活躍し、当時の美術シーンにおいて革新的なアプローチと創造性でアートの歴史に名を残した近代のアーティストの一人です。

レイは、アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィアで、1890年8月27日にユダヤ系移民の家庭に生まれました。父は仕立て屋、母は縫製工として働き、家庭内では布地や裁縫道具に囲まれて育ちました。この生まれ育った環境が、後の彼の作品に影響を与えたと考えられています。

幼少期からアートに興味を持っていたレイは、ニューヨークに移住後、1908年にアート・スチューデンツ・リーグや国民美術アカデミーで正式な美術教育を受けましたが、伝統的なアカデミックスタイルには満足せず、独学で新しい表現技法を探求し始めます。

1915年、ニューヨークでフランス人アーティストのマルセル・デュシャンと出会ったことが、彼のアートキャリアに大きな影響を与えました。この出会いをきっかけに、マン・レイはダダイズムに傾倒します。彼の初期作品には、日用品を転用した「レディメイド」や、機械的な要素を取り入れた作品が多く含まれています。

特に有名なのが、1919年に制作された作品「The Rope Dancer Accompanies Herself with Her Shadows」で、ダダイズムの理念を反映した独創的な絵画です。

「The Rope Dancer Accompanies Herself with Her Shadows」Man Ray
引用:https://www.artsy.net/artwork/man-ray-rope-dancer-accompanies-herself-with-her-shadows-1

1921年、レイは創作の自由を求めてパリに移住しました。そこで、シュルレアリスム運動に加わり、アンドレ・ブルトンやポール・エリュアールなどの芸術家たちと親交を深めます。この時期に、彼は写真家としても名声を確立しました。

特に1920年代のパリで、レイは写真技法「レイヨグラフ」(Rayograph, Rayographie、一般的にはフォトグラムと呼ばれる)を開発しました。この技法は、物体を感光紙の上に置き、光を当てて像を作るものです。その革新性は高く評価され、彼を写真芸術の先駆者として位置づけるきっかけとなりました。

第二次世界大戦の影響で1940年にアメリカへ帰国したレイは、ロサンゼルスに居住しながら創作を続けました。戦後は再びパリへ戻り、晩年までシュルレアリスム精神を貫きました。

1976年にマン・レイはパリで亡くなりました。フランスのセーヌ川左岸パリ南部に位置するモンパルナス墓地に埋葬されており、彼の墓碑には「Unconcerned, but not indifferent(無関心ではあるが、無感動ではない)」と刻まれています。

マン・レイの作品は、ニューヨーク近代美術館、ポンピドゥー・センター、テート・モダンなど世界の主要都市の美術館などに収蔵されています。

マン・レイの代表作品

「贈り物」1921年

「贈り物」1921年
引用:https://www.artpedia.asia/2016/01/30/%E3%83%9E%E3%83%B3-%E3%83%AC%E3%82%A4-%E8%B4%88%E3%82%8A%E7%89%A9/

マン・レイがダダイズムの精神を象徴する作品として知られています。この作品は、日常的なアイロンに14本の鋭い釘を取り付けたもので、実用性を完全に失わせています。
このアイデアは、マン・レイがパリでの個展の直前に友人の詩人フィリップ・スーポーと共に即興で作成したもので、現代アートにおける「レディメイド」の概念をさらに発展させたものです。

作品はアイロンという親しみある道具を変形させ、『用途』『破壊』『芸術とは何か』といったテーマを問いかけます。初期のオリジナルは展示会場で盗まれてしまいましたが、後に複製されたものが現存しています。タイトル「贈り物」は皮肉を含み、実際には不必要かつ危険な物体であることを強調しています。

「破壊されるべきオブジェ」1923年

「破壊されるべきオブジェ」マン・レイ
引用:https://davidcampany.com/an-indestructible-object-of-affection-to-be-destroyed/

「破壊されるべきオブジェ」は、マン・レイが制作したシュルレアリスム的な作品です。この作品は、木製のメトロノームに写真の切り抜きを取り付けたシンプルな構造となっています。写真は、レイのミューズであり恋人であったキキ・ド・モンパルナスの目を象徴しています。この作品もオリジナルは失われて複製版が現存します。

タイトルにある『破壊』は、マン・レイが恋人との別離後の感情を作品に込めたものと考えられています。この作品は、見る者に『アートの破壊』『愛と憎しみ』『記憶と忘却』といったテーマを想起させます。1930年代にはアンドレ・ブルトンのシュルレアリスム展にも展示されました。

1960年代に再製作された際には「不滅のオブジェ(Indestructible Object)」と改題され、時間と記憶の不可避性を暗示するものとして解釈されました。

「アングルのヴァイオリン」1924年

「アングルのヴァイオリン」マン・レイ
引用:https://www.cnn.com/style/article/man-ray-most-expensive-photograph-auction-record/index.html

「アングルのヴァイオリン」は、マン・レイが古典絵画とシュルレアリスムを融合させた代表作です。ドミニク・アングルの「ヴァルパイソンの浴女」に着想を得て、恋人キキ・ド・モンパルナスのヌード写真にヴァイオリンのf字孔を描き、再撮影する形で制作されました。この手法は、伝統的なヌード表現をユーモラスかつ挑発的に再構築するものです。

タイトルには「趣味」という意味を持つフランス語の洒落が含まれ、アングルのバイオリン演奏の逸話や、マン・レイ自身の創作への皮肉が込められています。同時に、キキとの関係性も暗示する複雑なニュアンスを帯びています。

本作品は、2022年5月14日にクリスティーズがニューヨークで開催したオークションに出品され、販売前の予想を大きく上回る1,240万ドル(約15億8千万円)で落札されています。

「涙」1932年

マン・レイ「涙」
引用:https://www.manray.net/glass-tears.jsp#google_vignette

「涙」は、マン・レイの最も有名なシュルレアリスム写真の一つで、女性の顔に涙の形をしたガラス製のビーズを配置した作品です。この写真は、純粋な美しさとシュルレアリスム的な不安感を同時に表現しています。

モデルの目元には、不自然に光沢のある涙が強調されていますが、その人工的な涙は、感情の偽装や外見の偽りを示唆するものとしても解釈されます。

この作品は、シュルレアリスムの『現実と幻想の境界をぼかす』というテーマを象徴し、1930年代の前衛的な写真表現の象徴ともなりました。「涙」というタイトルが示す感情的な要素と、人工的なビジュアルの対比が、作品に独特の緊張感を生み出しています。

マン・レイとシュルレアリスムの関係について

マン・レイは、シュルレアリスムの中心的な存在であり、その運動に多大な影響を与えました。シュルレアリスムとは、無意識や夢の世界を表現するアート運動で、アンドレ・ブルトンが提唱したものです。

マン・レイの作品は、現実の物体に非現実的な解釈を与えることで、シュルレアリスムの本質を体現しました。特に、写真作品「涙」や、映画作品「エトワール・ドゥ・メール」は、その象徴的な例とされています。

マン・レイが用いた写真技法:フォトグラムとソラリゼーション

マン・レイが開発した「レイヨグラフ(フォトグラム)」や、偶然発見した「ソラリゼーション」は、写真芸術に革命をもたらしました。フォトグラムは、カメラを使わずに感光紙に像を焼き付ける技法で、抽象的で独特な効果を生み出します。一方、ソラリゼーションは、ネガとポジが反転したような幻想的な効果を持つ写真技術です。これらの技法は、マン・レイの名前とともに広まり、現代写真にも影響を与え続けています。

マン・レイの映画作品と映像芸術

マン・レイは写真や絵画だけでなく、実験的な映画制作にも取り組みました。代表作には、「エトワール・ドゥ・メール」や「理性への回帰」、「エマク・バキア」などがあります。これらの作品は、時間や空間の概念を超えた表現で、アート映画の先駆けとなりました。

また、マン・レイは親交が深かったマルセル・デュシャンの映画作品「アネミック・シネマ」の制作も手伝っています。

マン・レイのミューズたち

マン・レイの作品には、女性が頻繁に登場し、その多くが彼のミューズであり恋人でもあった人物たちです。マン・レイの作品を通じて、女性の美しさや神秘性を再発見することができます。

リー・ミラー(Lee Miller)

リー・ミラー(Lee Miller)
引用:https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/civil-war-lee-miller-202410

リー・ミラーは、人目をひく美貌で「ヴォーグ」誌の表紙を飾るモデルとして活躍。マン・レイの助手となり、恋人でもあった人物ですが、独立志向が高まり、彼のもとを去ったそうです。その後、プロの写真家・従軍ジャーナリストとして活躍しました。リーとの別れを機にマン・レイは2年の歳月をかけて油彩画大作を完成させています。大画面に浮かぶ巨大な唇はリーのものです。

リー・ミラーは、マン・レイの助手としてソラリゼーション技法の発見にも関わったと言われています。

キキ・ド・モンパルナス(Kiki de Montparnasse)

引用:https://ichigoichie.exblog.jp/238860954/

キキ・ド・モンパルナスは、「モンパルナスの女王」として人気を博した女性です。キャバレーの歌手で、ピカソや藤田嗣治など多くの芸術家のモデルとなった伝説的な存在として知られます。彼女を扱った一連の作品は、マン・レイのみならず、彼女自身の名声を高めたそうです。キキ・ド・モンパルナスはマン・レイの写真「アングルのバイオリン」のモデルとして知られています。

メレット・オッペンハイム(Méret Oppenheim)

メレット・オッペンハイム(Méret Oppenheim)
引用:https://inventory.yokohama.art.museum/326

画家・彫刻家のメレット・オッペンハイムは、ジャコメッティのすすめによってシュルレアリスムに参加します。反逆的な精神と知的な美貌を持った女性で、マン・レイが版画インクで彼女の手と腕を汚し撮影した官能的な作品はスキャンダルを巻き起こしました。自身が制作したオブジェや大胆なジュエリーで一躍有名になっています。

ジュリエット・ブラウナー(Juliet Browner)

ジュリエット・ブラウナー(Juliet Browner)
引用:https://www.pinterest.com/pin/834784480931049302/

ダンサー兼モデルだったジュリエット・ブラウナーは、小鳥のような体と妖精のような雰囲気を持っていました。21歳年上のマン・レイと結婚、最後のミューズとして数々の作品に登場し、彼の晩年を支え続けた女性です。

まとめ

マン・レイは、ダダイズムとシュルレアリスムの両方で活躍し、写真、絵画、映画など幅広い分野で革新的な作品を生み出しました。その影響は現在も続いており、多くの現代アーティストにとってのインスピレーションとなっています。

彼の生涯や作品に触れることで、20世紀のアートの多様性とその変革の過程を深く理解することができます。

参考

アートペディア「マン・レイ / Man Ray」https://www.artpedia.asia/man-ray/

ABOUT ME
あやね
2018年にアメリカ NYへ移住した、京都生まれの大阪人。日本の伝統工芸が持つ独特で繊細な美しさが好きで、着物や器を集めている。郊外の家に引っ越したことをきっかけに、アート作品やアンティーク家具を取り入れたインテリアコーディネートにも興味を持ち始める。アメリカで日常生活に様々な形でアートを取り入れる人々に出会い触発され、2021年より趣味で陶芸をはじめる。