ルイーズ・ブルジョワの経歴
ルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois)は1911年12月25日、フランスのパリで生まれました。
両親のジョゼフィーヌ・ブルジョワとルイ・ブルジョワはタペストリーの修復業を営んでいたため、後継ぎとしての息子の誕生を望んでいましたが、姉に続いてルイーズも女として生まれてきたことから『望まれない子』だったという暗い幼少期を過ごしたそうです。母ジョゼフィーヌは男の子を産まなくてはいけないというプレッシャーからヒステリックになっていたと言います。
1914年、第一次世界大戦の勃発により、父親ルイは徴兵され、戦地に移送されました。ルイーズの後に無事ピエールという男の子が誕生して、ようやく落ち着いてきた直後に、母ジョゼフィーヌはまた不安に襲われたそうです。
幼い頃から、絵を描くのが好きだったルイーズに、ある日母が家業のタペストリーのためにスケッチしてみないかと提案しました。壁に掛けられるタペストリーは、移動させたり、カーテンのように開閉されるときに引きずられるため、そこに織り込まれた人や動物の足の部分から擦り切れてしまうことが多く、修復のため持ち込まれた依頼品は、かなりの割合で足・脚の部分を再現しなければいけませんでした。この下書きを当時10歳だったルイーズは担当することになりました。こうしてルイーズは学校に通いながら、家業に貢献するようになっていきました。
それでも父は、男の子として生まれてこなかったルイーズに対してきつくあたり、幼いルイーズを傷つけました。しょっちゅう父に癇癪を起こされていましたが、歯向かうことはせず、その代わりにて白パンを口でぐちゃぐちゃにしたものを粘土代わりにして、それで父の形に人形を作り、その手足をナイフでひとつひとつ切り落として憂さ晴らしをしていたといいます。
その後父ルイは18歳イギリス人のナニーを雇い、彼女を愛人としました。母ジョゼフィーヌやルイーズの兄弟も愛人の存在を公然の秘密として受けれていたという状況から、家庭内には不穏なムードが満ちていったそうです。
ルイーズは名門ソルボンヌ大学に入学し、当初数学を学びましたが、後に美術に転向し、フェルナン・レジェに師事します。
1932年、ルイーズが芸術部門の最高学府エコール・デ・ボザールに入学した時から、父親は将来結婚して家業を継いでもらうための投資と考えていたルイーズへの仕送りを打ち切りました。
その後ルイーズは家を出て、ルーブル美術館で働き始めます。そのお金で小さなギャラリーを開き、そこに訪れたアメリカ人の歴史学の学生だったロバート・ゴールドウォーターと1938年に結婚します。同年に二人は。ニューヨークに移り住みました。1945年、ニューヨークのバーサ・シェーファー・ギャラリーで初の個展を開催しましたが、当時はまだあまり注目を集める存在ではありませんでした。
1951年に父親ルイが他界します。この出来事はルイーズの作品に大きな影響を与えました。
幼少期における父の不貞と権威主義的な振る舞いは、ルイーズの心に永続的な傷を残しました。父の死を機に、ルイーズは、記憶、トラウマ、潜在意識といったテーマの探求を強めていき、自身の経験や感情をより深く掘り下げて作品に反映しました。
1954年には抽象表現主義に傾倒し、American Abstract Artists Groupに参加します。1960年代ごろから、大規模な環境彫刻やインスタレーションの制作を始めました。
1973年からは、ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツで教鞭を取るようになります。
1982年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で回顧展が開催され、広く知られるようになりました。
日本では、2014年に国立新美術館で開催された「ルイーズ・ブルジョワ展:秘密のない女」で多くの鑑賞者を集めました。この展示会では、彫刻、ドローイング、インスタレーションなど、ルイーズの作品が包括的に紹介されました。
2024年9月25日(水)から 2025年1月19日(日)まで、六本木の森美術館にて、「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が開催されます。
有名な作品
「父親の破壊」1974年
「父親の破壊」は、家族の力学、 親の支配、反抗を力強く探求したインスタレーション作品として広く知られています。
この作品は、ラテックス、石膏、木、布などの要素を組み合わせたミックスメディアのインスタレーションで、テーブルのような台の周囲を無定形の有機的なフォルムが取り囲むように構成されており、これらの形は身体の一部を暗示し、内臓のような生の感情を呼び起こすものとして表現されています。
幼少期の経験や父親との複雑な関係をドラマチックかつ象徴的に表現したものと解釈されており、家父長的権威に対する支配、統制、反抗というテーマを表現しています。
「細胞(目と鏡)」1989〜1993年
「細胞(目と鏡)」は、「独房」シリーズのひとつで、監禁と記憶をテーマにした作品です。
鏡、ガラス、スチール、ファウンド・オブジェなど様々なオブジェを用いたインスタレーションで、独房や檻に似た閉ざされた空間で構成されています。内部には配置された鏡は反射と歪みを生み出し、目は監視と内省の感覚を呼び起こします。閉ざされた空間からは、閉塞感と孤独感を感じられます。
ルイーズ自身の経験や記憶、感情をふかぼって表現された本作品は、物理的・心理的な監禁のテーマを想起させます。
「ママン」1999年
「ママン」は、ステンレススチールと大理石で作られた、高さ約9メートル以上、脚の長さ約10メートルの母親を象徴する大きな蜘蛛の彫刻です。
この彫刻は、織物職人であったルイーズ・ブルジョワの母、ジョゼフィーヌへのオマージュであり、蜘蛛は、母の強さ、保護力、養育性を象徴しています。蜘蛛の巣を織る能力は、彼女の母の職業であるタペストリーの修復に直接言及しており、忍耐力、創造性、勤勉さを象徴しています。
蜘蛛はその堂々とした大きさと強さにもかかわらず、母性そのものの複雑な性質と同じように、傷つきやすさともろさも持っていることから、自身の母親との関係を反映した深い個人的なものであると同時に、母性の強さという普遍的なテーマとも共鳴していると言えるでしょう。
ルイーズ・ブルジョワとフェミニズム
ルイーズ・ブルジョワの作品は、よくフェミニズムのテーマと結び付けられがちですが、彼女自身がフェミニストアーティストであることを明言していたわけではありません。
ルイーズの作品は、ジェンダー、アイデンティティ、女性としての経験をふかぼって表現したものが多いため、のちのフェミニズムの思想と共鳴し、フェミニズム芸術の文脈において重要な人物として見られるようになったと思われます。
まとめ
ルイーズ・ブルジョワは、大理石、ブロンズ、ラテックス、布などさまざまな素材を用いて作品を制作しました。
シュルレアリスム、抽象表現主義、フェミニズムの要素を融合させながら、家族、セクシュアリティ、恐怖、潜在意識といったテーマを探求したルイーズの作品を、2024年9月25日(水)から 2025年1月19日(日)まで、六本木の森美術館にて開催される「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」で鑑賞してみてはいかがでしょうか。
参考
Louise Bourgeois https://en.wikipedia.org/wiki/Louise_Bourgeois
画像引用元:https://www.gazette-drouot.com/en/article/-E2-80-9Clouise-bourgeois-the-woven-child-E2-80-9D-at-the-hayward-gallery-london/32821