ゲルハルト・リヒターの経歴
ドイツの画家、ゲルハルト・リヒター(以下、リヒター)は、1932年2月9日にドイツのドレスデンで生まれました。
1951年から地元の芸術アカデミー、ドレスデン芸術大学に進学し美術教育を受けていましたが、東ドイツの共産主義体制による政治的制約を感じたことをきっかけに、西ドイツのデュッセルドルフに移住しました。
ベルリンの壁によって東西ドイツが分断される寸前の1961年でした。
デュッセルドルフ芸術大学にて更に芸術への学びを深め、独自のスタイルを築いていったリヒターは、1964年にデュッセルドルフ、ミュンヘン、ベルリンにて個展を開催したり、国際的な現代アートの展覧会にも参加したりと、順調にアーティストとしてのキャリアを積んでいきます。
リヒターはその後1971年から15年以上、デュッセルドルフ芸術大学の教授として勤務しました。
1972年にリヒターは西ドイツを代表して第36回ヴェネチア・ビエンナーレに参加し、1997年の第47回ヴェネチア・ビエンナーレにて金獅子賞、1997年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しました。
現在89歳であるリヒターは、ドイツ最高峰の画家として世界的に知られ、その作品は高額で取引されています。
2012年に老舗オークションハウスのサザビーズ・ロンドンで行われたオークションで、ギタリストのエリック・クラプトンが所有していたリヒターの抽象画「アブストラクテス・ビルト(809-4)」が、約26億9000万円という当時の現存画家の作品では史上最高額で落札されました。
2020年にサザビーズ・香港で開催されたオークションでは、「アブストラクテス・ビルト(649-2)」がポーラ美術館により約30億円で落札され、今後も価格高騰が予想されています。
ゲルハルト・リヒターの代表作品
様々な表現スタイルやコンセプトを用いたリヒターの有名な作品をピックアップして見てみましょう。
「アトラス」1962年〜1966年
フォトペインティング作品を制作する中で写真を集めてきたリヒターは、それらの写真素材を整理し「アトラス」を制作しました。
イメージごとに分類されたそれぞれの写真の並びから生まれた作品は抽象作品のようで、その後抽象絵画を多く描くようになったリヒターの原点のように見えます。
アトラスは展覧会などにおいても、度々リヒターの監修の元で展示されることがある有名な作品です。
「エマー階段を降りる裸婦」1966年
リヒターの妻エマをモデルとして描いた「エマー階段を降りる裸婦」は、そのぼかしや輪郭のブレによってか、まるで写真のように見えます。
リヒターは、写真をもとに絵を描くことで、全く新しく脳裏に焼きつくような作品に生まれ変わらせているように感じます。
「グレー(肖像画:アルベルト・アインシュタイン)」1973年
「グレイ・ペインティング」シリーズは、グレイのみで描かれた絵画シリーズです。
リヒターにとって『無』の概念を表すグレイという色のみを用いた、彼の有名な「カラーチャート」シリーズと対照的な表現となっています。
現代音楽家ジョン・ケージの4分33秒に及ぶ無音の楽曲にインスピレーションを得たそうです。
「256色」1974年〜1984年
リヒターの「カラーチャート」シリーズは、様々な色のチップをまるでモザイクのように並べて作った絵画シリーズで、主に1960年代から1970年代にかけて制作されました。
「256色」は、その名の通り256色のチップを並べて作られています。
「ベティ」1988年
「ベティ」は、リヒターの娘ベティをモデルとして描かれたフォト・ペインティングの作品です。
フォト・ペインティングとは、写真を大きく引き伸ばして筆で描いていく手法であり、一見写真のように見える油彩画です。
リヒターのフォト・ペインティングは、あえて写真から油彩を描くという逆転的な発想が面白い作品シリーズです。
「アブストラクテス・ビルト(649-2)」1997年
リヒターは、40年以上にわたって多くの抽象画を製作してきたことで知られています。
抽象画シリーズは、初期はフラットな面、荒々しい筆使い、ぼかしなど様々な要素の組み合わせで構成されていましたが、1990年前後にはスキージ(シルクスクリーンで使用されるゴムベラ)のダイナミックな痕跡が中心となるなど、時代ごとに変化し続けてきました。
『理論的に把握できてしまううちは退屈』と語るリヒターは、完全に理解することが難しい抽象絵画の様々な表現を探しながら長期に渡って制作を続けてきたのかもしれません。
「アブストラクテス・ビルト(649-2)」は、2020年にサザビーズ・香港のオークションにて約30億円でポーラ美術館によって落札されました。
ゲルハルト・リヒターがデザインしたケルン大聖堂のステンドグラス
世界最大のゴシック建築として有名な、ドイツのケルン大聖堂には、第二次世界大戦による破損の修復プロジェクトの一貫として、政府からの依頼でリヒターがデザインしたステンドグラスがはめ込まれています。
11,500個の色ガラスを格子状に組み合わせて作られており、その姿は1973年のリヒターの作品「1024色」を思い出させます。
リヒターは1998年からケルンで暮らし、幼少期にはケルン大聖堂で洗礼を受け、聖歌隊で歌っていたこともあるそうです。
日本にある有名なゲルハルト・リヒターの作品
「14枚のガラス」2011年/豊島
瀬戸内海に浮かぶ無人島・豊島に、リヒターの作品「14枚のガラス」が展示されています。
全長8メートル、縦190cm、横180cmの14枚のガラスを、絶妙な角度で並べたこの作品は、現存するリヒターのガラス作品で最大のものです。
『現実と仮像』というテーマをもとに鏡やガラスなどの反射する素材を用いて創作活動を行ってきたリヒターは、鑑賞者が彼の作品を通じて『何をどう見るか』に重点を置いているのだそうです。
リヒターは2011年に初めて瀬戸内海を訪れた際に豊島を気に入ったため、作品の展示スペースの箱型の建物のデザインにも携わり、恒久展示を決めたといいます。
「14枚のガラス」は、常に一般公開されているわけではないので、訪れる際には事前に確認しておきましょう。
「ステイション」1985年/高知県立美術館
マルク・シャガールの世界的なコレクションを収蔵していることで知られる高知県立美術館には、ドイツ表現主義、ニュー・ペインティングに属する収蔵品も多く、リヒターの抽象絵画「ステイション」も収蔵されています。
ニュー・ペインティングとは、1980年代初頭にドイツやイタリア、イギリス、フランス、アメリカ合衆国など各地で多く見られた芸術様式です。
具象絵画を中心として、あらゆるテーマをもとに大画面に表現したニュー・ペインティングの作品は、大型の作品が多く見られます。
ゲルハルト・リヒター展
具象、抽象、映像、写真、鏡やガラスを用いた作品など、様々な表現方法で作品を作り続けてきたリヒターは、2022年に90歳を迎えます。
生誕90年、画業60年を記念して、リヒターの大規模な個展「ゲルハルト・リヒター展」が、2022年に東京国立近代美術館と豊田市美術館(愛知)で開催される予定です。
日本の美術館では16年ぶりの個展で、多くの現代アートファン待望の開催となります。
注目の作品としては、第二次世界大戦中のユダヤ人収容所で撮影された写真をもとに描かれた抽象画「ビルケナウ」が日本初公開される予定です。
ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論
1996年に発行された「ゲルハルト・リヒター 写真論・絵画論」は、年に増強版も出版されています。
この本は、著名な美術評論家やジャーナリストによるインタビューや、処刑されたテロリストを描き話題となった連作「1977年10月18日」をめぐる対談、リヒターが1962年から1992年までに書いたノートや日記をまとめた内容となっており、アーティストとしてのリヒターの40年間のドキュメントとも言えます。
様々な作風で作品を生み出してきたリヒターですが、その原点には写真性と光、絵画の関係性が絡み合っていることが感じられます。
リヒターの作品の背後にある芸術論を知りたい方は、ぜひ読んでみてください。
ゲルハルト・リヒターについて描かれた映画
「ある画家の数奇な運命」
リヒターをモデルにした映画「ある画家の数奇な運命」は、リヒターへの取材をもとにして、アーティストとしての彼の半生を題材に描かれています。
人物の名前などは変わっているためドキュメンタリーではなくフィクション作品として制作されましたが、リヒターがアーティストとして大成する過程での、ドイツの国家事情や当時の美術界の雰囲気などを感じ取ることができるでしょう。
「ゲルハルト・リヒター・ペインティング」
ドキュメンタリー「ゲルハルト・リヒター・ペインティング」では、若い頃のインタビュー映像から、アトリエでの制作の様子まで、リヒターの制作の裏側に迫ることができます。
監督のコリンナ・ベルツは、過去にもドキュメンタリー映画「ケルン大聖堂のステンドグラス」やリヒターの他の映像作品の制作にも関わってきたため、リヒターとの関係性も深く、この3年以上にわたる取材をまとめたドキュメンタリー作品の制作が実現したそうです。
「アートのお値段」
アートとお金の関係性をめぐるドキュメンタリー映画「アートのお値段」には、ジェフ・クーンズやジョージ・コンドなどの有名アーティストや、著名ギャラリスト、コレクターなどが登場しています。
リヒター本人と作品もこの映画に登場するので、世界のアート市場のことや現代アーティストたちの姿が気になる方はぜひチェックして見てください。
まとめ
新欧州絵画の開拓者の一人として、世界から高い評価を得て現代アート界を牽引してきたアーティスト、ゲルハルト・リヒター。
幅広い表現方法を用いて、新たな絵画表現の可能性を開拓し続けてきたリヒターは、鑑賞者に独自の視点で作品を通じて考えさせる、最高峰の現代アーティストと言えるでしょう。
近年も、リヒターの作品は老舗オークションハウスにて数十億単位の高額で落札されています。
2022年に東京・名古屋にて開催されるゲルハルト・リヒター展で、日本国内での注目度もさらに上がっていきそうです。
参考
Gerhard Richter https://www.gerhard-richter.com
暮らしのデザインレビュー「ゲルハルト・リヒターの代表作を解説【後編】(すでに美術史に名を残す画家)」https://ldesignreview.com/gerhard_richter2#station
美術手帖「ゲルハルト・リヒターをモデルにした理由とは? 映画『ある画家の数奇な運命』監督、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクに聞く」https://bijutsutecho.com/magazine/interview/22777
今後も価格高騰が期待される現代アーティストです。